地元愛

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今回の南会津訪問でさまざまなことがありました。

南会津の皆さんは、一致団結してきている。皆さんの心を繋ぐものは何だろうかと、部外者が見て感じる答えは、地元愛だ。地元生まれかどうかは関係なく、皆さん、南会津を愛している。

そして今回わかったこと。僕には地元がないのだ。

埼玉に生まれ、神奈川へ移住し、千葉へ移った。アメリカのケンタッキーを第2の故郷にしてくれた僕のホストファミリーはいつしか僕にとって大切な第2のファミリーとなった。日本へ戻り、僕は様々な地を移り、いまは東京にいる。この地は母方の祖父母がずっと住んでいた場所であり、僕にとって目黒線は目蒲線で、目黒は高級住宅地ではなく町工場だらけの下町だった。インドにも長く滞在し、第3の故郷になった。それからも様々な土地の人に触れてきた。

若かりし頃は自分のルーツを探ったこともあった。先祖を辿ると、様々な土地との縁が見えてきた。静岡、新潟、宮城、高知、・・・。

わたしたちは2人の親(父母)から生まれ、祖父母は4人いる。10代遡るだけで先祖の数は合計で2,046人にものぼる。20代遡ると先祖の数はなんと200万人を超える。

わたしたちはどこかで繋がっている。

僕にとって故郷は、地球であり、この宇宙だ。故郷がないことはデメリットばかりではないのだ。人生で出会った縁もゆかりもないように見える土地がすべて、大地や海で繋がった故郷であることを僕はいつも意識している。

僕には地元意識で繋がる仲間がなかなか見つからなかった。どこに行っても、余所者で、よくわからない素性の人間だから。

でもケンタッキーの家族は、血の繋がっていない僕を、別け隔てのない家族として受け入れてくれた。どうしてなのかと、ケンタッキーの父に問うと、彼は17歳の僕に言った。

「ここでは、シェア(共有)することは当たり前なんだ」

深い深い言葉だった。

無償の愛を信じられない人は、無償の愛を与える者を疑う。無償なんてあるわけがないとか、下心があるに違いないと、疑う。そんなことには慣れっこだ。いちいち説明するための努力もしない。どこかに、わかってくれる人がいると信じるしかないのだ。

媚びたり妥協したりせずに、やっていく。

僕は僕なりの地域の愛し方がある。荒川、南会津、まだ見ぬ未来の出会い。すべて同じ宇宙の、ちっぽけな地球という星にある地域だ。地域への愛し方に不公平なんてない。おなじ地球だから。

地元がなくても、一緒にやれる仲間。地元愛のような強い精神的繋がりを共有できる仲間。それがなければ、大きな課題には立ち向かえない。そしてそんな仲間は、僕のすべての故郷に点在している。

今回は荒川にいる僕の仲間に、南会津を感じ取ってもらうことができた。ほら、仲間は離れていても存在するって。離れた土地で、異なる課題に立ち向かっていても、想いには共通性があるということを皆、感じてくれたという実感がある。

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