Quoraで次のような質問があったので回答した。
「もし今コロナに罹ったらどうしますか?」
東京都の下町で毎週月曜日に、スマホやPCの使い方から高度なITのことまで、何でも100円(給茶機のお茶とコーヒーのフリードリンク付き)で相談できるサロンをやっています。
僕は40代ですが、そこには小学生から90代までいろんな人が来てくれます。毎週のように来てくれる常連さんもいます。
2日前の月曜日、常連さんの80代の女性が、珍しく夕刻に来てくれました。相談があるというので、てっきりIT関連の相談だと思ったら、そうではありませんでした。
彼女はお店の近くで独り暮らしをしているのですが、先日の朝方に突然胸を強く押し付けられているような症状になって、119番にダイヤルすることもできないほど、体が動かなくなってしまったというのです。幸いなことにその場は症状が治まったそうで、かかりつけの町医者の紹介で大学病院で検査をしたところ、原因が特定できなかったということでした。
なぜ僕に相談したのかとお思いかもしれません。僕はITの専門家ですが、医者ではありません。
理由は簡単です。3年前に僕は彼女と似たような症状で危うく死にかけたことを彼女は知っていたからです。一命を取り留めましたが、医師によれば僕の心臓は3分の1から2分の1ほど壊死してしまいました。原因は、左前下行枝(LAD)のいちばん根本の動脈の閉塞による、心筋梗塞でした。
痛みの原因がわからず、自宅でかなり長時間、様々な試みをしながら耐えてしまいました。救急車を呼ぶ決断をするまで2時間ほどだったでしょうか。自宅前の道路は救急車が入れないほど狭い道なので、ストレッチャーを転がして救急隊員の方がやってきました。そのときは歩いて救急車まで行けそうだったのでそう伝えると、隊員の方に怒られました。ストレッチャーに横になった瞬間から、生死を彷徨う闘いになりました。あまりの苦しみに耐えきれず、救急車の中で2度、臨死体験をしました。
臨死体験は、言葉で説明できない体験でした。僕は一体誰とコミュニケーションをしていたのかわかりませんが、言語は使っていません。そのコミュニケーションの相手は僕に次のような意味合いのことを伝えてきました。
「あなたは今すぐこちらに来る権利を持っている。しかしあちらの世界(現世)であなたが受け取るべき素晴らしいものをまだすべて受け取っていない。選択は完全にあなたの自由だ。どうしたい?」
そのコミュニケーションの間、僕は「死にたくない」とは露ほども思っていませんでした。僕が行く権利を持っているという「こちら」に行くことは、すべてを得ることだと、なぜか理解していました。でも僕は、現世に戻る選択をしたのです。
あちらの世界に行くことは、完全なる調和でしかありませんでしたが、現世は苦海です。そこへ戻る選択はもう無いと思いかけたのですが、僕が戻る決断をしたのは、母がきっかけでした。
救急車には、僕の母が同乗していたのです。僕は独り暮らし(+猫)ですが、その日はたまたま用事があって母が来ており、たまたまの事情で珍しく僕の家に泊まっていたのです。僕の家から母の住む実家までは電車で1時間くらいで、母は帰ることもできたのですが、本当にたまたま、泊まることにしていたのでした。
柄にもなく僕は「親の前で死ねない」と思ったような記憶があります。もし親を泣かせないような選択肢があるのであれば、それを選ぶしかないと思いました。
それは僕にとって、恐ろしい大決断でした。僕はこの世が嫌いなわけではありません。夢も目標もあり、大切に思う人に囲まれ、適度に苦しい課題でアップアップしながらも、決して悪くない人生を過ごしていました。それでも、あちらの世界は、この世を捨ててでも行く価値のある、たいへん価値のある場所だと感じる、絶大な魅力のある世界だと感じていました。
それでも、戻る決断をする。ああ自分は馬鹿だ、なんて馬鹿な決断を……。と思った矢先に、バン! と一瞬でこの世に帰ってきました。
救急車の天井。ピーピーとうるさく鳴る機器。僕に話しかけている隊員の方。搬送先の病院と話をしている隊員の方。揺れる車内。情報の渦。動かない身体。少しでも力を抜いたら死ぬという感覚。いままで体験したことがない強い痛み。
母の存在は足下のほうに感じましたが、顔を見るために首を起こす余裕なんて無い。母のことを考える余裕すらない。
しばらく耐えて、やっぱりもう無理だ、そう感じたとき、救急車の機械の警報音がまた鳴り響き、意識が遠のきました。
また、あちらの世界の誰だかわかんない人とのコミュニケーション。
安らぎの中の、長い長い、情報交換。
おそらく現世では、1秒も経ってない。
そしてまたいろいろ諭されて、こっちに帰ってくる。
激痛。不自由。騒音。振動。五感に入ってくるものすべてが、この現世ではおそろしく攻撃的で、無差別で、無配慮。
それでも闘いました。
手術のいちばん痛いところが終わったとき、僕の体内でまた血が流れ始めるのを感じ、ようやく僕は、全身全霊で崖っぷちにつかまるような感覚から解放されました。
医師が神様にしか思えなかった。
そう、僕は生き延びたのです。
発作から3時間くらい経過していたのでしょうか。
医師曰く、あと数分遅れていたら、死んでいたそうです。
僕の心臓は半分近く壊死してしまいましたが、僕は生きています。
ここまで読んでくださった皆様、ありがとう。わたしが伝えたいことは、単純です。僕たちは例外なく、いつ死ぬかわからないけど、多くの人はそれを頭でわかっているだけで、実感していないということです。僕もそうでした。
皆さんの多くは体験していないでしょう。でも僕は体験者として、なかなか言えないことを書きます。死んだあとも僕たちは無になるわけではなく、続きます。何が続くのかわからないけど、人として生きる最大でも100年前後のちっぽけなものではなく、僕たちはもっともっと壮大なものの一部です。僕は特定の宗教に属していませんが、信仰心はあるようです。
映画「コンタクト」を観たり原作を読んだことがある方はいらっしゃいますか。あの映画で主人公を演じたジョディ・フォスターが主張します。誰も見たことがない世界を彼女は体験し、その見たものを証明する手段は皆無で、彼女はそれを証明しなければならないという苦境に立ちました。理屈では説明できない体験をまるで裁判のように問われ、彼女はまるで犯罪者扱いでした。それでも彼女は叫ぶのです。自分の体験したこと、見たもの。それは自分の中では、これ以上ないほどリアルなもので、たとえ証明できなくても、それを無かったことだとか、嘘だとか、幻だったとか、そういうふうに片付けることは到底できないと。
80歳の友人の話に戻りましょう。僕は彼女にできるだけの対策をアドバイスしました。循環器内科で再検査すること。体を冷やさないこと。たまに胸に手を当てて、自分の心臓に「いつもありがとう」と伝えること。寝るときは携帯電話を枕元に置くこと。医療関係者ではない僕にできるアドバイスは、それくらいしかありません。
そしていざという時が来たならば、僕は彼女の命を守ることができない。僕のたいせつな友人のひとりである彼女は、おそらく僕よりも先にこの世を去るでしょう。それでも、いまこの瞬間を僕は忘れない。
手術が終わったあと、僕は集中治療室でたくさんの管やケーブルにつながれたまま、母や駆けつけてきた妹や弟と対面しました。
やあ、また会えたね。
いまこの瞬間って素晴らしい。そんなに心配そうな顔するなよ。会えて嬉しいよ。だって、もう会えないはずだったのだから。
一夜が明けて、薄闇の中、目が覚めた。都会の病棟は天国に近い。循環器内科の病室はビルの最上階に近いところにあって、朝焼けの大都会が眼下に広がり、まだ明かりのついたビル群と、広い広い空。薄紫色で、とっても美しい。
そして僕は感じた。
「あ、生きてる」
手術直後の僕の心臓の壊死したところは、豆腐のように柔らかくなってしまっているらしい。いつ破裂してもおかしくないから、血圧は下げられるだけ下げられて、ふらふらする。
だから僕は、朝を迎えるたびに思うようになった。
「あ、今日も生きてる」
生きてるって、どんなに素晴らしいことか。みなさん忘れているかもしれない。僕も忘れていた。全然わかってなかった。
明日の朝を無事に迎えられる約束なんて、どこにもない。それでも迎えられる朝を体験したとき、僕は喜びと感謝にあふれている。
そして僕は知っている。死は終わりではなく、長い長い旅路の、ほんのスタートに過ぎないことを。だから僕は死ぬことがまったく怖くなくなった。
それでもなお、この世界には、僕が大切に思っているものであふれている。家族、友人、仲間、うちの猫、僕を救ってくれた医師、看護師、薬剤師、理学療法士、ヘルパー、病院を支えている会ったこともない人たち、ただすれ違うだけの縁しかない人、動物や木々、虫、いろんなもの。
生きることは喜びでしかない。いままで自分で視野を狭めていただけだ。
僕が自分のライフスタイルを再び確立させてまもなく、新型コロナウイルスが世界を脅かした。
僕は最初の1年間、マスクをつけなかった。
だってさ、生死というものは、そういうことで決まるわけじゃないことを知ってるから。人間、死ぬときは何をしたって死ぬ。浅はかな人間の思いつくような理屈で対処しても、死ぬときは死ぬし、死なないときは絶対に死なない。
でも1年後、マスクをつけるようになった。なぜなら僕以外の人が、マスクをつけないで歩いている人を見ると怯えたり怒ったりするから。彼らの心の安寧のために僕はマスクをつけるくらいの協力はしよう。
「今日が人生最後の日だったら?」
そういえばスティーブ・ジョブズもそんなこと言ってたっけ。スタンフォード大学の卒業式の式辞で。
僕は彼が何を言いたかったのか、わかる。
でもちょっとそれを、僕なりの言い方に換えてみる。
「昨日が人生最後の日だったら?」
これがいまの僕の捉え方だ。昨日までの経験は、確実なものだ。もっと正確に書くと、いまこの瞬間という断面よりも過去の経験は、確実に僕の経験だ。
じゃあ今日は? いまこの瞬間は?
それは、ボーナス。おまけ。
いやーラッキーだ。今日も生きてる! 今日も生きちゃっていいんですか? 誰だか知らないけど、今日をくれた誰か、ありがとう。
今日は何しようかなぁ〜〜。
え、コロナ? 知らんがな。
そんな心配してる時間も労力も、すみません、ありません。
コロナ対策に命を賭けていらっしゃる方々、ご苦労さまです。すばらしい志と意思で、頑張っていらっしゃる。
僕以外の、コロナを恐れている方々には、絶大なる信頼を置かれていることでしょう。
僕は、マスクをします。これが僕の唯一の、コロナ対策。
かかって死んだら、まあそういうことだ。死ぬだけ。
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