何か たいせつにしていること 流れる 心の 底に流れる みずみずしくて 静かな河
答えに辿り着こうとしていたら、やってられない。
性格は行動の行動の副産物。
たとえば誰かからLINEが来る。たとえば誰かから電話がくる。たとえば誰かと約束する。たとえばその約束を果たす。すべて、いま現在。いま現在やるべきことだけに集中しているだけで、物事は勝手に進み、勝手に解釈され、勝手に反応していく。
誰かがそんな自分を見て口にするのだ。社交的だとか行動的だとか、なにか僕の一部だけを断片的に取り上げて、それに名前をつけてみる。そんなことに何か意味があるのかどうか僕はあまり深く考えてみたこともない。けれどそれで多くの人は、頷いたり、なにか腑に落ちたり、安心したりしているようだ。
行動の副産物で、性格というカテゴライズがなされる。
でも昨日の自分は今日の自分とは違うわけで、そんなカテゴライズなんて捨てて、まっすぐ見つめ合うことが素敵だって思ってるんだ。
どうしてそれをしないのかな。
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