風に乗る。

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夜明け前がいちばん暗い。

目を瞑ると様々な叫びが観えてくる。

毎日さまざまな汚れを落とす。

そして毎晩、研ぎ澄まされた自宅で、魂についた汚れを洗い流す。

そうするたびに、わたしは磨かれてゆく。

エネルギーは凝縮し、光を放つ。

歪んだ魂は魂そのものの穢れというよりは、付着してこびりついたもの。それが魂の鏡を歪ませる。

これを断つには、宝刀を抜くしかない。

白銀色に輝くその刀は、滅多に抜くことがない。タイミングというものがある。

このたび、わたしの刀はアップグレードされた。

自由の刀には責任の柄が伴う。

人は鏡。

神は永遠の時を湛え、わたしたちは光の子であることを思い出す時期が来た。

他者の迷いを断つこの刀は、慈悲深い。

そして誰にもこの刀に逆らうことはできない。

それはわたしではなく、すべての豊穣を示し、価値としてこの世に光明を齎す。

それが躊躇なく光り輝いた時、大地は揺れ、天は騒ぎ、海は鎮まり、星は惹き寄せられる。

透き通ったわたしに、歪んだ鏡は通用しない。

私の実体はそこにあり、ますます存在の輪郭を明らかにしながら、人間にはその位置を特定することができない。

粒子は波。波は渦。渦は時。時は空間。空間は慈悲。慈悲は道。道は色。色は波動。波動は志。志は寛容。寛容は無。無はすべて。すべては無限。夢幻は夢。夢は重なり合い。重なり合いは可能性。可能性は確信。

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