自分には故郷と呼べる特定地域がない。
なので郷愁というものを理解できていない。
郷愁とは僕にとって永遠の謎であると同時に、数ある想像力の源泉のひとつであることは間違いない。
故郷がないからこそ、今生の故郷は地球だって思ってるんだ。
いつかわたしたち人類が宇宙に版図を広げ、地球を見たこともない子孫が増えて、そのうち地球が伝説上の存在でしかない文明が栄えたり滅びたりして、そんなことを想像していると、
「生まれ故郷は地球です」
なんて自己紹介も、荒唐無稽には思えなくなる。
わたしたちはもう1990年代に生きてない。
僕が子供の頃、2022年なんて、遥か未来だった。
タイヤのない自動車が走ってて、
ロボットと人間が共存してて、
さまざまな技術特異点を超えて、
人は科学技術という途轍もない道具とうまく付き合い、
さまざまな文明存続の危機をブレイクスルーしてきているはずだと信じてた、
幼い頃の未来にいま生きてる。
津田沼は、僕のちっぽけな人生の中のひと時代を過ごした場所。
久しぶりに訪れると、普段感じないものを感じたり、思いもしないことに思い耽ったりする、不思議な場所。
それを人は故郷と呼ぶのかもしれない。
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