喜びと認知

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Don't name it, or you'll be trapped in dogma.

低い太陽

最近世の中から感じられる生命エネルギーは低下傾向。バカ真面目が多い日本では毎年恒例、1億総出のwinter blueが迫っている。これは付き合いきれないので、切り離しと境界維持、原点復帰が大事だ。

最近、認知症に関連する話を聞くことや、その対策について思うような機会が多い。


認知症を予防するために効果があるといわれているものは、世の中にたくさんある。先日も近所の商店街を歩いていたら、鍼灸整骨院で認知症予防のマッサージのようなことが書いてあった。

キューブカフェで多くの高齢者たちと交流させていただいているが、僕が思う認知症予防において重要なキーワードをいくつか。

  • 「認知症予防」の活動をしない
  • 脳を鍛えない

「認知症予防」の活動をしない

認知症を意識しすぎると引き寄せる。そこから抜け出すためには認知症の心配からフリーになること。では一体どうしたらフリーになれるのかというと、そんなことを考えてしまう環境・習慣から脱出することだ。まず環境に関していえば、日々誰とお付き合いしているかが大きい。心配の習慣からフリーになるには、自分を充実させるのが一番よいと思う。何かに夢中になっているとき、人は心配しない。

脳を鍛えない

とくに日中韓の3国において、脳(大脳)を論理的回路として利用しようとする傾向がとても強い。脳は暗記回路ではない。詰め込みというものは恐ろしいもので、脳はそれをやればできてしまうけれど、本来は脳にとって苦痛である。なぜ苦痛を感じるのかというと、自分の肉体が意識に対して危険信号を発信している。その信号を無視してしまうキーワードは「誰でもやっている当たり前のこと」「苦しいことから逃げていたら人生成就しない」など。

脳を鍛えて記憶力を高めるとか、脳の炎症を増すばかりでなく、生物学的にもおかしなことになっている。

むしろ鍛えることからフリーになる必要がある。

たとえば「最近物忘れが激しい」と感じたとき、「脳の老化」が心をよぎるかもしれない。しかしそうではない。物忘れをするということは、対象への興味(好奇心)が薄れているのだ。

人の名前が覚えられない。道が覚えられない。学習したことが抜けてしまう。

「覚えなきゃ」では覚えられない。
「覚えたい」なら年齢に関係なく覚える。

人生を長く過ごしていると、いろんな「似たような状況」が繰り返し起きる。新しい出会いで人の名前を覚えるなんて状況もそのひとつだ。それを脳がマンネリ化して捉えてしまうと、名前は覚えられない。しかし新しい出会いに楽しみをみつけ、いま目の前にいる人との一期一会にワクワクすると、なぜか名前を覚える。誰でも好きな人の名前は覚えるのだ。お店の名前も然り。なんとなくインデックスをつけて記憶の棚に整理するような感覚ではなく、このお店の名前に込められた思いは何なのだろうとか、頭を回転させること。

頭を回転させよう! なんて決意でやっても意味がなく、感動が必要。

認知症予防のキーは、感動だと思っている。

感動しなくなった人は年齢に関係なくすべての脳内活動がルーチン化してくる。

感動するにはどうしたらいいかって、そりゃ簡単で、

  • 嫌なことをしない。
  • 楽しいことをする。

人によっては「嫌なこと」がわからなくなっている。本当は嫌なのにそれが好きだと思いこんで長い時間が経つと、頭でわからなくなってしまうらしい。そういうときは表情や、それについて語っている姿を見ればよくわかる。

心から楽しんでいるか。

あと、名前を安易につけないこと。

冒頭に書いた、Don’t name it, or you’ll be trapped in dogma.(名前をつけないこと。さもなくばドグマに囚われてしまう)

ドグマは「教養」と訳すことができる。教養、マナー、教義、ルール、公共性、そういうことも、もちろん大事なんだけれども、個の自由と責任という小さいセットで物事を捉える癖をつけていかないと、現実が置き去りになって理想が暴走してしまいますよって話。

名前をつけることが大好きな人が多いです。でも名前をつけるのって危ない側面もある。名前をつけた対象のことを深堀りしなくなる危険がある。

道路の脇に生えているコンクリートでできた円柱について、「電柱」とつけたら、それについてもう好奇心がある程度失われてしまうのです。

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