CとEとGのハーモニーは楽器との対話にあり
意思を持つヒトが奏でる場合は演奏者と楽器の間に通じる共感がある。
これがCとD♭とGの場合、どんなに演奏者がハーモニーさせたくても努力しても無理。展開を変えても無理。
ところがそこに1次元追加すると、解決策がある。CD♭Gの不協和音による不快感、窮屈さを解放するのは、和音を構成する単音それぞれに対して適切な解を与えてやればいい。それが流れという、時空軸として追加された次元。
和音から別の和音への「変化」が、見事に直前の不協和音を必要不可欠な存在に転換させる。これは過去の特定時点のネガティヴな認識が全体としてのポジティブ、flowの美に生まれ変わる過程だ。
この感覚の変化が比喩するものこそがArtの原点に深く根ざしていると思う。
現代の合理主義が不完全なのは、足された1次元がもたらす未来予測の感覚や、過去に正対する勇気を無視し続けている世論が罷り通るところにあると思う。
色も音も嘘をつかない。
感覚も嘘をつかない。
ハーモニーは演奏者と楽器との共感や一体感にあり、人はそこで感動する。一方通行には美もなければ解もない。
ライブでステージのミュージシャンと一体になるのと、自宅でヘッドホンをつけて音楽を聴くこと。この2つの体験では、似たところは耳に届く音波の波形(それも怪しいが)くらいのもので、相互理解あるから生演奏っていいよね。
グルーヴはその足された時空で遠野流れを遊ばせるところにある。
楕円を転がす。
音に関するこの比喩は、人生において仕事、人間関係、あらゆるところに現れている。
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