いま起こしていることを説明していく試み(1)

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とある質問サイトに、こんな質疑応答が書いてありました。

【質問】経営者と従業員の意思が通じないのはなぜでしょうか?

【回答】そもそも利害が反しているし、物の見方も真逆なんですもの。

  • 経営者は、少しでも安い賃金で、たくさん働いてほしい。
  • 従業員は、少しでも高い賃金をもらって、ラクをしたい。
  • 経営者は、会社が将来何を目指しそのために今何をすべきか考える。
  • 従業員は、自分の目の前の仕事をいつまでにやるかを考える。
https://qr.ae/prZy0S

この回答を書いた人が経営者なのか従業員なのかは分からなかったのですが、少なからず高評価や賛同のコメントがありました。

それで、僕が従業員だった頃どう思っていたかというと、

  • 従業員(林)は、経営者や将来の自分が必要とする技術や経験を磨きたい、ラクをしたいとは思わない。賃金は実績についてくるものだし、ついてこないなら経営者の目は節穴だ。
  • 従業員(林)は、自分の目の前の仕事をいつまでにやるかを考えると同時に、それが会社の将来目指すところに合致しているか考え、そのために今自分ができることに合致しているかを考える。

いま思えば、これが原因で従業員を続けられなくなったのです。

経営者は従業員と話が通じるほうがよいはずなのですが、従業員同士では上記の僕のような人間は面倒な奴だと思われたり、無駄なことをやっていると思われたりします。

  • 林は、いままで考えたりやったりする必要がない、指示されていないところまで掘り返す。
  • 林は、自分の目の前の仕事に集中していない。

それでは経営者となったいま、自分がどうしているのかというと、

  • 経営者(林)は、少しでも高い金で、ラクをしてほしい。自分もそうしたい。
  • 経営者(林)は、将来何を目指しそのために今何をすべきか考える。同時に、自分の目の前の仕事をいつまでにやるかを考える。

つまり僕が求めている仕事人の理想像は、自分も相手も同じで、

  • 少しでも高い金をもらって、ラクをしたい。
  • 将来何を目指しそのために今何をすべきか考える。同時に、自分の目の前の仕事をいつまでにやるかを考える。
  • 従業員にはなりたくない。

となります。

少しでも高い金をもらって、ラクをする

これを実現するための方法としてするべきは、次の事項について考え、試行することです。

  • どうしたらラクに高い金がもらえるのか
  • なんのために金が必要なのか

どうしたらラクに高い金がもらえるのか

この命題について解決方法はいくつもあります。

  • ラクに成果を出せる仕組みを考え、作る。不必要な過程をなくし、必要な過程は高い品質と速度を両立する仕組みをつくる。ITはそのためにとても有用な道具のひとつである。
  • ラクに成果を出せる能力を身につける。知識をつけ、経験を重ね、自分を向上させ、同じ問題を解決するためにかかる労力や時間を短縮する。
  • ラクにならない仕事は本当に価値があるのかどうかについてよく考える。それは本当に自分がやるべき仕事なのか、それとも他人に押し付けられているだけなのか、あるいは自分がそれに価値があると思いこんでいるだけなのか。価値を提供すると対価のひとつとして金があります。それが見合わないとしたら、労力をかけて生み出す価値について考えるのは当然です。
  • 高い金が得られないとしたら、不当に安売り・安請け合いをしていないか、それをやめるためにはどうするかを考え、実行する。

将来何を目指しそのために今何をすべきか考える。同時に、自分の目の前の仕事をいつまでにやるかを考える。

最初に引用した回答では「将来何を目指しそのために今何をすべきか考える」と「自分の目の前の仕事をいつまでにやるかを考える」は経営者と従業員の間で対立している考え方のように表現されていましたが、これは僕個人としては対立していません。

将来どこを目指すのか、というゴールから考えていくのは経営者であれ従業員であれ同じです。問題は、経営者と従業員で目指しているゴールが異なるケースが多いということです。経営者はその会社の未来を考えていて、従業員は自分の将来を考えていて、会社に所属しているのは「自分の能力や経験を高く買ってくれる」「能力を磨くチャンスがある」という理由の方がいまは多いということです。昭和の高度成長期には会社と一心同体で定年まで突っ走るのが当たり前だったのでしょうが、現代はもう違うということです。

そうなると必要となってくるのは、経営者であれ従業員であれ、「人生で自分が目指しているゴールはどこか」を設定することです。登山に例えたら、「自分が登りたい山はどれか」ということです。

登りたい山が決まれば、「そのために今何をすべきか」を決めるためにはどうするかわかります。登山計画を立てればいいのです。1日目は何合目まで行って、そこでキャンプをする。2日目は頂上アタックする。つまり「マイルストーン」を設定するということです。大きな石から。

マイルストーンが決まれば、「いま何をすべきか」はより明確になります。さらに想像力を駆使して、登山に必要な道具や自分の能力について検討します。その山が自分の能力に見合わない高難易度だとしたら、もっと低い山から経験を積んでいく必要があるかもしれません。

現代の経営者は、ただ金や福利厚生を与えれば従業員はついてくる、という考え方を捨てる必要があります。いまは過渡期です。従業員が残ってくれているだけでラッキーだという自覚が必要です。経営者自身が、一体なんのためにその会社を維持したいのかを問われています。それがミッション・ステートメントやコーポレート・ガバナンスに現れてくるのですが、賛同者がいなければ自分ひとりでもやるのが当たり前ですね。

従業員にはなりたくない

従業員になぜなりたくないのかというと、従業員は従業する会社との契約に基づいて業務を遂行する人間であり、権限や信用に制約があるためです。

いま会社の従業員をやっていて満足な環境を手に入れている方は、裁量権や実績評価などさまざまな面において不満のない、素晴らしい会社にお勤めなのだと思います。

そうでない方は、おおまかに次のような分類ができると思います。

  • 現状の不満や将来の不安はあるが、生活できているので退職は考えていない
  • 現状の不満や将来の不安があるが、どうしたら解決するかわからない
  • 現状の不満や将来の不安があるが、飛び出すためのスキルや経験が足りないと思っている
  • 会社が守ってくれているから、とくに危機感はない

現在、僕が仕事・プライベートで関係を持っている方のなかには会社に勤めていらっしゃる方もたくさんいます。

皆さん様々な段階にいらっしゃいます。

  • わたしたちの会社はいま社員として法的に登録されている者が自分を含めて3人います。ひとりは別の会社の従業員として働きながら、副業としてこちらの社員をやっています。もうひとりはいま、どうするか迷いながら模索しているところです。
  • 社員以外ですと、他の仕事をしながら参加してくれている人が1名と、僕と同じように100%コミットできる、最近会社を退職されて再就職せずフリーランスで立つ決意をした方が1名います。

上記4名は立場こそ違えど、志では僕と何ら変わりません。

僕は「お手伝い」という言葉をビジネスであまり使いません。お手伝いというと、主体となる人が本人以外にある、従業員的な発想につながるからです。あくまで主体は自分であるし、関わってくれる方々にもそれを求めています。ここで合わない方とは、一緒に仕事をしないという選択をしています。

なので僕がとっている戦略は「来るものは拒まず、去るものは追わず」となるのです。

この考え方を発展させていくと、ビジネスには「顧客」と「協力者」という2つのinput/outputがあるのではなく、「パートナー」しか存在しないということになります。

わたしたちの会社はいくつかの会社さんと仕事をしていますが、相手の会社さんがどう思っているかに関わらず、わたしたちからみれば「対等なパートナー」です。共に悩み、共に創造し、ときにはぶつかりあい、価値とは何かについてわかりあう努力をし、世の中に価値を与えていくということについて、理解しあえる関係性を目指しているということです。その「理解しあう」という努力を積み重ねることを放棄している相手とは、個人であれ法人であれ、一緒に仕事はできません。

上記は、先述した4名の方に対する考え方とまったく同じです。パートナーに対しては、次のようにケースバイケースで柔軟な状況が発生します。

  • パートナーが思いついて実行しようとしているプロジェクトに我々が賛同して参加する
  • 我々が思いついて実行しようとしているプロジェクトにパートナーが賛同して参加する

その場合、お金はどう動くのでしょうか。これも実際にいまわたしたちの実績から分類すると次のようになります。

  • パートナーがマネタイズをして、我々にその一部を払う
  • 我々がマネタイズして、パートナーにその一部を払う
  • パートナーと我々が共同で持ち出して、社会に価値を与えることができたらそのレベニューをシェアする
  • パートナーと我々が共同で持ち出して、サステナビリティを確保できる別の共同体を創設する
  • パートナーと我々が資本を投入する(投資か寄付かは、ケースバイケースで最適なほうを選択する)

再度書きますが、ここでパートナーと表現している相手は、うちの会社と取引のある法人・個人の両方を指します。

対等であること・公平性

上記のようなシステムに「従業員」の入り込む隙はありません。僕自身の「従業員には人生の制約がある。完全に自分の好きなことを思ったとおりにやってみて、結果もすべて受け止めて、成長しながら世の中に価値を与え、その結果、自分が生きていくことができれば、社会からの評価は『僕がそのために生きてもいい』という余地を与えてもらえたという証拠である」という考え方に則っています。

自分がやりたくないことを人に押し付けることは、僕にはできません。だから、従業員を雇いません。そしてそれが成り立つシステムをずっと昔から考えてきて、問題点を解決する手段も考えてきて、いまそれを社会という実験場で試しており、それがうまくいくことが実証できつつあります。

合同会社について

世の中には株式会社・有限会社・合同会社など、さまざまな法的形態をとった法人があります。僕が合同会社(LLC)を選択した理由は、メンバーが全員「社員」という思想に則った形式だからです。世の中では様々な誤解がありまして、「合同会社は昔の有限会社の置き換えで、設立費用が安い小規模事業向けである」と思われていたり、「合同会社よりも株式会社のほうが社会的信用がある」と断言されていたりします。実際に合同会社のほうが株式会社よりも設立にかかる費用は安いですし、株式会社のほうが合同会社よりも信用できると思う方もいらっしゃいますから、間違いではありません。しかしそこだけ見ていると重要なことを見逃してしまいます。

  • 合同会社には取締役という立場はありません。全員「社員」です。
  • 投資額や貢献度によって権限に優劣はつきません。「社員ひとり1票」です。

ほかにも様々な違いがありますが、僕が危険だと感じているのは、日本の法律では「合同会社で従業員を雇うことができる」ことと、「合同会社の定款で「代表社員」という立場を作れる」ところです。

実際、設立当時はこれらの意味がよくわかっていなかったので、僕は共同設立者の友人と協議した上で自分を代表社員に設定する定款を作成しました。

近い将来、定款を変更して「代表社員」の設定をなくそうと思っています。

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