ちょっとした差

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巷でAIが騒がれ

便利になる。

バカになる。

運動不足になる。

肉体が衰える。

脳も肉体の一部。


階段がめんどくさくてエスカレーター。

違いはほんの十数段かもしれない。

ちょっとした差かもしれない。

でもその「ちょっとした差」が、後々に効いてくる。

大きな違いを生む。

日々こつこつとやった、ちょっとした努力が蓄積して、後々に大きな成果になるように、

日々こつこつとやらなかった、ちょっとした怠けが蓄積して、後に大きな影響をする。


荒川で石井さんが作る「コロバンズ」ってペダル型運動器は、ちっとも重くない。

ただ足を置いて回すだけ。

負荷は自分の足の重さと、ペダルの数百グラムだけ。

それでもお年寄りや足に不自由のある人たちの筋肉が見事に回復する。

ってえことはヨ、

逆もまた真なりじゃないのかね。

ちょっとした運動不足が、筋力を衰えさせる。

ちょっとしたラクが、頭脳を衰えさせる。


なんでもかんでも、便利、便利になっていく。

それがよいことだって信じて疑ってないのかね。

人間は怠けられるなら怠けてしまいがちだ。

楽したいというのは本能だ。

だから人間は、武道とか思想とかいろんな道具をつかって、

修行して、

自制する手段を探す。

好きなものを好きなだけ食べまくったら、健康を害するんだろう?

「好きなものを好きなだけ食べて」健康を害さない人と害する人がいるわけだ。

好きなもの好きなだけ食べていいよって言われても、

大好物のラーメンを毎日食べちゃう人と、

毎日なんて食えねえよ、って人がいる。

じゃあもうひとつ。

エスカレーターがあったら乗るよって人と、

エスカレーターがあっても乗らないよって人がいる。

さらにもうひとつ。

お金があったら仕事やめるよって人と、

お金があっても仕事は続けるよって人がいる。


自制しない手段が目の前にあったら自制するのは誰だって困難だ。

エスカレーターがあったらつい乗りたくなる自制心の弱い人?

おいしいものが目の前にあったらつい食べたくなる自制心の弱い人?

ちょっとそれは、だいぶ違うんじゃないかねぇ。

人は自分の好きなものが選べたら選んでしまうからねぇ。

僕がエスカレーターになるべく乗らないのは自制心が強いからなのかねぇ。

違うと思うんだなぁ。

筋肉を鍛えたり、頭を鍛えたりするのが苦痛って人が多いよね。

くたびれた体にムチ打つのはつらいとか言う人も多いよね。

仕事でクタクタになったときに、なるべく体力を温存しようとする人も多いし、

たまの週末くらい体力回復のために休みたいって言う人も多いんだなあ。

でもそれやっちゃってると、じりじりと追い詰められていくわけよ。

鍛えるためには、「もうひと踏ん張り」ゾーンがたいせつなわけよ。

毎日体力ギリギリで仕事や生活してる人が、体力余裕になるためには、

体力をつけなきゃいけないわけだが、

同じことしてたら体力は増えるばかりか、下手すると減っていくわけだ

筋肉も脳も免疫もすべて、

無駄なものは削るし、必要なものは増やすからね。

エスカレーター乗ってたら、階段登るための筋肉はつかないし、

そんな使わない筋肉を維持するためにエネルギーを多めに必要とするのは

生命にとってリスクでしかないんだから、

そりゃ不要な分の筋力は落としちゃうよね。

だから我々はもう、毎日マンモスを狩って生きるような筋力を持ってない。

それどころか、世の中には、

年老いて死ぬ前に歩けなくなっちゃうくらいの勢いで

筋肉を衰えさせてる人が何百万人もいらっしゃるんだ。


金持たなきゃ贅沢できねえ。

エスカレーター無きゃ歩くしかねえ。

でもそれが無理だとしたら、

自制心を育むとか、

エスカレーター無い国に引っ越すとか、

いろいろある。


AIができたら、仕事がなくなるって言ってる連中はな、

仕事ってのは、決してなくならないってことを知らん。

仕事ってのは、エネルギーを使うことだ。

それを溜め込んでいるつもりのやつが、

一番損してるわけだ。

わかるやろ、エネルギーを惜しんでずっと体を動かさなかったら、

筋肉は衰え、贅肉は増えて、

エネルギーを使いたくても使えない身体になっていく。

溜め込んだエネルギーが健康を蝕む。


「AIが発達したら、人間のやることは【発明】【選択】【創造】になる」なんて言ってる偉そうな人がいるんだけどな、

まず言いたいのは、

そんなことだけしかできなくなって、それホントに楽しい人生だって、地球上のみんながそう感じると思うか、って話よ。

ないない。

君はそうかもしれないけど、そうなるわけないじゃん。

山登りが趣味の人いるけど、それを無駄と思ってる人もいるんだ。

わざわざ登らなくてもいまは動画で楽しめるからいいじゃんってね。

登ったことがないんだろうかね。

料理だってできるだけしたくないって言う人がいるけども、

そりゃそれで構わないけど、そうじゃない人もいるってことだ。

僕も料理は好きだ。自分が作った料理よりおいしいもの出すプロがいても、

自分が作った料理も、好きだなあ。

次に言いたいのは、

簡単に【発明】【選択】【創造】って言うけどね、

そんなぬるま湯に浸かって毎日過ごしてる人が、

AIができたからって突然発明できるようになったりしますかってんだ。

AIに人生の選択まで委ねようとするような人が、

目の前にある選択をできますかっての。

創造するプロセスを「楽しい」と思えず「めんどくさい」「苦しい」と思って生きてきた人が

さあAIがすべてやってくれるから創造してくださいって言われて、

創造できるようになりますか。

ならないでしょ。

エスカレーターやエレベーターが生まれたからこそ、

僕らは毎日のように使う駅で、デパートで、マンションで、選択肢を突きつけられる。

階段使いますか? それともエレベーター? エスカレーター?

AIが生まれたからこそ、僕らは選択肢を突きつけられる。

それ、AIに任せますか? それとも自分でやります?

自分でできないなら、人やAIに教えてもらいます? 自分で試行錯誤します? それとも諦めます?


選択肢が増えるというのは、いいことばかりではない。

自分が試される機会が増えることをよしとしない人にとっては、

怠惰な人にとっては、

ときに、おそろしい人生の決断を、毎日、突きつけられることになる。

階段を選ばず、エスカレーターを選ぶことに、

なんの問題意識もないとしたら、

無意識レベルで選択しちゃってるってことだ。

それはもう、選択しているというよりも、

選択させられている、と表現したほうが適切かもしれない。


祖母は人に助けられるのがとても嫌いで、

98歳で死ぬまで一度も、

ヘルパーさんの世話にはならなかった。

たとえ提案されてもそれを断った。

杖も使わなかった。

僕が遊びに行くと、

台所に立ち、お茶を淹れてくれる。

僕が「僕がやるから、おばあちゃん座ってて」って言っても、

譲らなかった。

怠けと老化・退化は、表裏一体。

便利に頼れば、己が衰える。

便利も人も、

頼ろうとせず、うまく付き合っていく、

その距離感こそが、

知識だけでなく、教養というものによって実現可能になる。

ちょっとした差。

その「ちょっと」って具体的には、どれくらいなんでしょうね。

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