生きようとする意志と、それを俯瞰するもの。
僕たちは、あるところから生まれ、還る。
ゴルゴタの丘。
川の流れ。
色即是空
にゃーちゃんは、ただの猫ではなかった。
時を超え、運命の奔流に幾度となくもみくちゃにされながらも、にゃーちゃんと僕の絆はそれを遥かに超える力で繋がってきた。
にゃーちゃん亡き後、僕は僕とこの世界とのリンクが変容してしまったと感じている。
それ以前の流れとしても、こっちの世界に意識を向ける時間が少なくなりつつあった。
人は何のために働くのか?
人は何のために生きるのか?
自分の中にある答えすら、どんどん抽象化していって、今や生きている理由は「死んでないから」としか答えられない。
でも本当は死んでないかどうかもわからない。そんなことについて語りたくても語る相手もいない。だから僕はひとりの時間が好きだ。ひとりで誰にも邪魔されない空間に行くのが好きだ。自分の内側に全ての答えが隠されている。うちなる宇宙こそが旅する価値ある真理への旅だ。
先ほど家を出る時、きゅーちゃんに訴えかけられた。
「そんな事言わずにさ、まだ色々あるんだからうまくやっていこうよ」
ってね。
猫とコミュニケーションができる人がもしこれを読むことがあるのなら、僕が説明しようとしていることをもしかしたらわかってくれるかもしれない。
人間もそうだけど、生命はすべて、主に言葉によらないコミュニケーションをしている。ただ、僕の見る限り多くの人間がそのことを知らないか、忘れてしまっている。
自分を解放するのが怖い人は、その力を失うしかない。自分のことを信じきれていない可哀想な人たち。
この世にまだやったことがないことはたくさんあるのだろう。
しかしあまり興味がない。
金持ちになる? まだ食べたことがない美味しいものを食べる? 社会を変える? 人の役にたつ?
これらはすべて、後付けの言い訳だ。
僕はとにかく、知りたいことを知りたい。
心通じる相手からも、深い学びを得たい。
心通じない相手からも、深い学びを得たい。
知ることは最大の喜びなのかもしれない。
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