脱力

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僕はわりと、面白いことが好きだ。いや、本当の本音をいえば、かなりのオモシロマニアなのだ。

だから「それって、面白そう!」って思ったら、やらずにいられない。

でも、まわりからはあんまりそう思われていないことが、今回の旅でわかった。

さらにいえば、まわりからはむしろ「とってもマジメで責任感がある人」とすら思われているようで、それだけなら別にどう思われていてもいいやっていうだけの話なんだけど、まわりに「マジメ」レッテルを貼られてしまうと、少々面倒なことが起きてくる。

どんな面倒なことが起きるのか、というと、マジメなことばかり話題になることが多くなるので、なんとこの僕が、マジメになったつもりになってしまうのだ。これは世の中の、本当にマジメな人たちからすれば、心外であるどころか、「おまえマジメをバカにしくさるのも大概にしろよ!」と怒鳴りつけられてしまっても仕方がない。これは人生をマジメに生きている方々にとってみれば、沽券にかかわることと言っても差し支えないであろう。

――ではなぜ僕がそんなにマジメに思われるようになったのかについて、考察してみよう―― って思った瞬間に、頭の中に答えが湧いた。

面白いことだらけで生きてきた僕はよく、「すこしはマジメにやれ」って言われてきた。こっちは真剣に面白いことを考えて話しているのに、マジメに話してるなんて思ってもらえないことが多かったのだ。

「どうしたらちゃんと話を聞いてもらえるんだろう?」

それは僕にとって大きなテーマになっていったのだ。それで、16歳のときにアメリカのケンタッキー州のど田舎に留学して、僕はびっくりしたのだ。そこでは、面白いことを真剣にやることが、よいこととされていたのだ。だから僕は思った。「日本人ってホント、マジメ」ってね。

マジメと真剣は似ているようで、全然ちがう。どっちが上とか下とかいう話でもないし、どっちかが頭がいいとかわるいとか、そういうことでもない。

僕の長年にわたる観察から考察すると、マジメっていうのはおそらく、世の中の役に立っているレベルという観点から評価すれば、おおよそ僕みたいな人間には逆立ちしてもかなわないほどに、レベルが高いのだ。

しかしマジメであるかどうかよりも、「何についてマジメに取り組んでいるのか」が大事だ、とアメリカは10代の僕に教えてくれた。教えてくれたというよりも、僕がずっとそうだと思ってきたことを、「そのとおりだよ」と肯定してもらった。

そして真剣なものであるほどに、人はマジメになりやすい。ここが、要注意ポイントなのだ。

マジメにやっていることほど、人にはあんまり話さずに、コツコツやる。なぜならそれは自分が好きでやっていることだからなのだ。

マジメにやっていることを人に話したり自慢したりしたくなったら、本当にそれは自分がやりたいことなのかどうか、見直しをするチャンスなのだ。だって、自分がやりたくてやっているなら、そういう願望はあんまり湧かないはずだから。表面的にはマジメを演じる必要はない。

自分が真剣に取り組んでいることを話すときに、マジメな感じに堅苦しく話さないと、聞いてくれない人がたくさんいる。僕が間違っていたのは、そういう人たちに「いいね!」とか「それ、やりたい!」って思ってもらえたら素敵だなーと思って、話を聞いてもらうために、マジメなふりをしてしまったこと。

でも長い時間をかけて、それは間違ってたって知ったんだ。

面白いことは、オモシロくやってれば、それだけでいい。


それから僕はこのブログでもそうなんだけど、思いついたこと、きづいたことなどについて話したり書いたりするとき、アツくなってしまう。だからいつのまにか、マジメっぽい文章になってしまうことがある。これはもしかしたら、僕の性根がマジメなのか?・・・とも思う。

これはとっても弊害の大きいことだ。マジメに話してる人に対して、フザケたことを言う人は少ない。マジメとフザケは水と油みたいな関係で、マジメムードのなかにフザケたことを突っ込むのは、称賛されてもいいくらいにとても勇気の要ることなのだ。

そしてマジメにフザケを入れることに長けてくると、もうマジメにやってるのかフザケているのか、まわりの人からみたら区別がつかなくなってくるようだ。

偏見をおそれずに書くと、僕はこの「マジメとフザケのMIX」において、関西人はとってもレベルが高いと思っている。逆に僕が大好きだった東京の嫌いになってしまったいちばんの理由が、マジメとフザケを混ぜられない「クソマジメ」なムードを作り出すことがとっても上手な人たちが、台頭してしまったことにあるのだ。


母と沖縄に行ってきた。僕は初めての沖縄。

僕の偏見が書き換わるときがきた。

最近僕は静岡県の川根本町という山奥に引っ越し、川根の人たちと関わるようになった。そんな矢先での沖縄旅行である。

第一印象。

沖縄の人たちの、マジメとフザケのMIXに、僕は感動してしまった。

沖縄の歴史は、頭で知ってはいたけれど、実際に見て感じて、沖縄のことがますます好きになった。

川根と沖縄の共通点を挙げるとすれば、やっぱり「すっごくマジメなんだけど、フザケとMIX」しているところだ。

これを命名しようと思ったが、もう既にいい言葉があった。

「脱力」


川根は脱力レベルが東京よりも高い。しかし残念ながら、僕の知る「理想の関西」ほどではないし、ましてや沖縄の足元にも及ばない。そうか、と僕はひとりで合点した。川根がより楽しくて魅力ある街になっているところを想像してみると、そこには「さらなる脱力」というキーワードが浮かんでくるように思える。

脱力なら僕は自信があるのだ。


問題だったのは、脱力している自分と「真剣にマジメなことを美徳としている方々」との架け橋をどうするか、だった。その答えは「そんなことキニシナイ」だと僕は思った。

そこ、すり合わせる必要、なかった。


沖縄は、とってもオモシロい。

そんな沖縄で僕がやったことで、いちばんだったのは、透明で静かな海の波打ち際に仰向けで浮かび、全身脱力して何も考えず、ただ感じるだけの時間を過ごしたこと。

空は青。ビーチはエメラルドグリーン。海の水は青くなかった。曇りのない透明だった。

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