Encapsulation

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「誰かの夢」を観る。

前前投稿および前投稿は、カプセル化された意識のミラーリングの実例だ。わたしはこのようにして、他者の意識が自分のなかに映り込み、まるで自分自身の体験のように感じられてしまう性質をもっている。どこからどこまでが自分の感覚なのか、どこから自分の感覚ではないのか、その境界線を引けるようになるためには、様々なことを乗り越える必要があった。いまだに、自分の感覚だとか意思だとか思い込んでいるそれが本当に自分のものなのかどうかは証明することができない。やはりNDEで教わったことが大きいのだ。そこでわたしは、自分自身の魂の輪郭を感じた。五感で感じたわけではなく、いまでは説明不可能なより深く高い感じ方で。それからというもの、自分の魂に境界線を感じることができるようになったわけだが、常にそれを意識できているわけではなく、いつのまにか他者の魂をミラーしているのは相変わらずで、ある時点で「あれっ? おかしいな」と、まさに氣が付く。それによって、自他の切り分けができるようになるわけだが、ミラーしたものによっては、自分の能力「だけ」では戻って来られないことがある。その場合どうすればいいのかが何故かわかるので、それをやる。他人から見たら儀式的な行動をしているように見えるかもしれない。畑薙湖や石垣島もそうした行為のひとつだ。

意識や思想のような形がみえないものはすべて同じように浮かんでいるわけではなくて、マトリョーシカのように幾層にもなっている。マトリョーシカはひとつの次元にひとつの人形だが、こちらはそうではない。宇宙のなかに宇宙があるようなものだ。それがカプセル化と僕が呼ぶものだ。

▼Google Geminiに描いてもらった意識が多次元でカプセル化されている図

僕はこんなにも奇異な世界に生まれてから、この世界のルール・摂理・法則のようなものを常に探ってきた。しかし皆が説明してくれる世界の法則は、僕には当てはまらないことが多く、無用だった。故に、自分の頭が悪いから理解できないのかなとか、自分のせいにし続けてきた若い時代があったのだ。

誰も教えてくれないなら自分で探るしかない。それが実際には最良の選択だったのだ。神は答えを与えてくれないが、経験をする機会を与えてくれる。それをもって自分の内なる疑問に対する答えを、自分の肉体によって、頭脳によって、魂によって、見つけ出していくことが、ブレないための最上級のやり方だったのだ。

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