2年ぶりの転機に武者震い

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前職を辞めたのが2012年の1月。会社都合の退職としていただいたため、次に何をするのか考える時間的・金銭的余裕が少しだけあった。
そんなとき、昔働いていた会社(このブログでも何度かインド出張のことを書いた会社)でずっと付き合いを続けていただいていたMさんから声をかけていただき、業務委託を受けるという形で仕事をいただくことになった。委託とはいえ成果品を切り分けて納品できるような仕事ではないので、報酬は時給制。とはいえ、システムエンジニアとして一般的な額で契約させていただいた。何年も休眠させていた個人事業登録を復活させ、国民健康保険に加入し、すっかり個人事業主として仕事を始めたわけだ。

契約は3ヶ月ごとに自動更新。私の病気について理解していただいており、安定して成果が出せるようになったら正社員として登用したいというお話もいただいていた。さらに、健常者のように平均的なアウトプットは見込めなくても、トータルで見たら同じかそれ以上の成果を出せる自信もあったし、実際に出してきた。

それでも、他の社員のように定時から定時で毎日働くことができないという点で社員登用を反対する人は当然でてくる。責任ある仕事を任せておいて休まれたらたまらない。

そういうわけで体調が愚図っている間は社員になれる見込みもなく、「次どうすんべ」と考えつつ、相変わらず体調を崩したり持ち直したりしつつ、はや2年半。
――2年半!

社員としてこの会社で働いていた頃からお世話になっているMさんや、当時入社のきっかけを作ってくださった現社長のSさんからは、将来的に社員として迎えていただくために本気で取り組んでいただいている。また、会社のスタイルに合わず反撥の多そうな意見や自由奔放なお願いにも真摯に対応していただいている。

しかしやはり不安定な生活であるから、絶えず不安がつきまとうのだ。

ここに鶏が先か卵が先かという問題が発生する。

  • 体調が悪くなるから責任ある仕事を任せられないのか、それとも責任ある仕事を任せられないから体調が悪くなるのか
  • 成果か過程か

幸せなゴールを迎えることは難しそうだと感じていた。
現に実力を発揮する機会をいただくことが出来ないので、実力を認めていただくことも出来ない。しかしこれまで出して来た成果を正当に見ていただけているのであれば、有る程度の評価がいただけるべきだ、と思うくらいには頑張った。
しかしこの2年半、出したアウトプットに対して具体的な評価を口にしてくださった方は1人もいない。
モチベーションを維持するのが辛かった。
朝から晩まで英文を翻訳し続ける日々もあった。

ヘミングウェイが『陽はまた昇る』(The Sun Also Rises)と書いたように、人生においても明けない夜は無いようで、僕の2年半にわたる暗中模索の旅にもようやく光が差し込んできた。

別の仕事のオファーを断ってまでこの会社でがんばって行くことを考えていたが、今はあまり前向きになれない。

社内で発したごく当たり前な意見がうまく受け入れられず、悩んだ挙句にMさんやSさんに相談したこともあった。その時に言われたのが、社内にはまだまだ受け入れる準備の出来ていない若い人材が多いから、背中を見せて欲しいと言われた。

背中を見せるタイプではなく、届かない目標を追い求めるタイプなので、会社から求められているものと自分の理想の姿との間にギャップもある。

そして、とある企業の最終面接までこぎつけた。

まだ決まったわけではないけど、来週決まる。

いやー、長かった。

歳を重ねるごとに時間の経過が早く感じられるとはよく言われるけど、ちょっと寄り道していたつもりが2年半って、quarter of a decade でございますよ。前職に就いたのは2008年、もう6年も前になるのか……軽くショックだねえ。

主観的な時間の経過について。たとえば9歳の子にとって10歳になるまでの1年という時間は、その子の人生の 10% だ。しかし40歳のおじさんにとっては 2.5% でしかない。これが理由であるとされている。ふむふむ。

話が横道に逸れたので戻します。いやーこの歳になると転職の難易度が高くなるとは聞いていたけど、ほんとに大変。直近の2年間で面接にこぎつけた企業、0 社。ゼロですよ。10本の指に収まらない数の企業に(ヘッドハンター経由で)レジュメを送っていたんだけど。

そんなときいつも頭をよぎっていたのが、この業界で立てられている「35年定年説」やら「フルスタックエンジニア以外は生き残れない」といった、なんとも恐ろしい仮説。

これまでが楽すぎたのかもしれない、と常に思えるほどに人生の難易度は高くなるばかりだね。しかし転職にここまで手こずったのは初めてで、今までほんと楽してたというかラッキーだったんだなあと思った。でも2年以上にわたるアンラックが続いていたから、そろそろ運が向いてきてもいい頃合いだとは思っていたけれど。

双極性障害の病識を深め、今後の方向性についてたくさん考えさせられた。この障害を持っている限りは会社勤めは向いていないのかもしれないと以前ここに書いたような気がするけどまさにその通りで、事業主として自立できるのであればそれに越したことはないと思う。しかし方向性もまだ定まっていないし、資金もない。現状ではどこかで働く以外の選択肢は無いように思える。もしかしたら次は失敗しない可能性だってあるし、そう信じなきゃやってられないし。

  • 会社員になる
  • 個人事業主を続ける
  • 会社を起こす

会社員になる

IT業界は上向きで、転職市場は活性化している。でもはっきり言って超たいへん。将来性やエネルギーにあふれ、雇用のコストも低い若者と同じ土俵でポジション争奪戦。中年のおじさんが武器にできるものは何だろうか。
「即戦力になる知識」「豊富な経験」「広い人脈」「鍛えあげられた適応力」

加えて、双極性障害。転職歴。

超たいへんなのだ。

どこの社員になるか

自分が何をしたいのか。

いま仕事をしている会社の正社員になるのか。別の会社を探すのか。

いままでの転職において一番強力な武器となったのは、ほかでもない英語力だった。ちょっと心外なんだけれど。だって英語を母国語としている国では英語ができて当然だから、それ以外のスキルが光っていないとダメでしょう。ということは僕は「主に日本市場で需要を満たす」人材ということになる。

まあでも英語力や英語を使った業務の経験はそれなりに積んでいて、幸いなことに英語の学習に力を入れずとも英語力だけは鍛えられてきた。昔はよく音声品質の悪い電話会議で泣きそうになったり、ネイティブ同士の会話についていけなくて大人しくなっちゃったりしたこともあったけど、少しずつ良くしてきた。

知人や友人からかつてそう言われたことがあるが、「ジェットコースターのようだ」。今となって理由は明快、この性格がジェットコースターのようだから。安全装置の閾値がギリギリに設定されているらしく「あーもうヤバいよ!」って結構焦る段階にならないとどんなに舵を引いても上昇してこない、恐ろしく舵取りの難しい飛行機のような感じ。

 

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