血統という幻

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なんというか、「優良なペット好き」って何なんでしょうかね。

「よいブリーダー」「悪いブリーダー」とかレッテル貼りあってる気がしますけど。これってイジメが生まれる原理と同じですよねぇ。

どんな理屈や信条でブリーディングするのかは人それぞれだと思いますし、それに対して好き嫌いという感情は生まれることこそあれ、良し悪しについては他者がどうこう言えないでしょう。こういうことは個々が見極めるしかないと思います。

上記サイトを見ると、すごく愛犬家が納得しやすそうな意見を発信していらっしゃいますけれども、個人的には良し悪しを決めつけていて読むに耐えないところがあります。

犬猫と長い年月一緒に暮らしてきて思うことは、たくさんあります。血統の純粋性にこだわる現代のペット「業界」っておかしくないですかね。そもそも血統が生まれたのは、ペットを用途別に「道具」として性能特化させようという流れだったかと思います。たとえば猟犬。たとえば愛玩犬。

しかしそれが人間のエゴであることにはもう多くの方が気づいているでしょう。血統のバリエーションがあることを悪いと言っているのではありません。人間にたとえてみれば、純血とかハーフとか差別しても無意味でしょう。我々はみな同じ「人間」であり、それ以前にみな同じ「生命」というカテゴリなのです。であればペットもその環の中にいるべきではないのでしょうか。

そもそも「純血」という考え方自体が無意味です。それは過去に作り出されたブリードの一種でしかないのです。

ここで優生学の是非について語るつもりはありませんが、一体我々は何のために血統などという無意味な慣習に縛られているのか、それが不思議に感じられてしまう今日この頃なのでした。

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