たとえ会社を辞めても繋がりは残ります。
会社に所属するということは、それがどのような雇用形態や契約だったとしても、共通の目的に向かって一緒に仕事をすることを約束するということです。
会社に所属するということが、ルール、つまり社則や法律に従うことが目的ではないという点が重要だと思います。ルールとは目的を効率的に達成するための道具です。与えられたルールを知り、目的達成のためにルールを使いこなすことが大切です。
使いこなすというのはルールに従うことでルーラーの意図を知ることではありません。なぜなら、それではルールを決めるに至ったロジックに上積みする考え方しか展開できないからです。
ルールを使いこなす、というのはルールを多面的に捉え、正攻法から抜け道まで全てを平等に評価できるほどにフラットな視点に立ち、徹底的に合理的に、かつ論理的に考えることです。徹底的にとか合理的にとかいうと冷たい印象を受ける人がいるかもしれませんが、これは心なき行動基準ではなく、むしろ逆といえるでしょう。とても人間臭くて泥臭いもの、ラグビーのようなものです。なぜならそこには、課題に打ち勝ちたいという究極的に人間的な欲求があるからです。
ルールを使いこなす際、直接的な経験はあまり重要ではありません。むしろ俯瞰能力を削ぐ可能性があるので、いまここにあるルールに従うことで知ることは知らない方がいいことも多いのです。その判断基準は、いまここにある経験ではなく、過去の経験から何を学んできたかというところです。つまり個人における蓄積された知恵のことです。
ルールを使いこなしてみて、次に出てくるのはルールをいかにして捌くかです。効率化、合理化のチャレンジは変化への渇望そのものです。物事をよくしたいという人間の根源的な欲求の具現化です。
そしてルールは壊されたり新しく作り直されたりしていきます。
ルールは普遍的なものではありません。その瞬間瞬間の便宜的な仮説の言語化に過ぎません。それは覆され、変化し続けてゆくものです。
価値観を内に求め続けることはあらゆる意味で難しいことです。常に「新しい風」というものは意図せずとも入ってきてしまうものですし、それがナチュラルであることを受け入れられない我々は等しく病んでいるという見方も出来ます。また、頑なに維持しようとする努力はやがて例外なく執着心へとつながり、苦痛を生むことになります。苦痛を認められない頑なさは他者への怒りとなって発散されたり、自らのストレスとして蓄積されたりせざるを得ません。外に出そうが内に貯めようが結局それは自分に返ってくるものです。帰ってきたものを調和させるために払う代償は、失われた時間と無駄になった労力への後悔かもしれません。それは受け止め方次第なのですが、後悔にさいなまれたままではやがてまた同じ過ちを繰り返すだけです。なぜならそれを失敗として受け止めないからです。異なるアプローチへのチャレンジをせず、また同じことを今度は『うまく』やろうとするわけです。
そうではなく、自分に返ってきたときにそれを良い経験として『知恵』に転化できるかどうかが、多くの人が見過ごしがちな分岐点です。なぜ多くの人がここで見誤るのかというと、現状維持への憧憬があるからです。なぜ現状維持を良しとするかというと、それがひとつの巣箱だからです。見えざる外敵から自らを守る安全地帯だと思い込んでいるためです。
飛び立とうとしない小鳥を無理に飛び立たせることは決してできないのでした。
こうした考え方の罠にはまらないためには、組織と自分が依存関係に陥っていないか考えてみるとよいでしょう。金のため、地位のため、名誉のため、自己承認欲求のため、さまざまな理由で人は自由な発想から遠ざかります。心から自由であるためには、一歩踏み出すための身軽な心の羽をいつでも持ち続ける必要があると強く思います。
そして組織という枠から解放されて物事を捉えることができるようになってはじめて、組織というものは便宜的な存在でしかなく、大切なのは様々な場所で、様々な経験を通じて得た人間同士の繋がりであることに気付きます。
その繋がりこそが、あなたの可能性を支えてくれるのです。
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