合理的選択理論の終焉

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「どうすれば売上・利益が上がるか」

「どうすれば儲かるか」

このように課題を立てることは珍しいことでもなんでもなく、むしろ当然のようでもあります。

しかしこの考え方には大きな思考の落とし穴があります。

利益の本質を知れば、このように自分の頭に働きかけることで、金銭利益主体の考え方になってしまっていることに気がつきます。

そしてこの文章を読んでもなお問題に気づかないとしたらそこに問題があります。

サッカーに例えると、プレイヤーが「どうすれば点が入るか」ではなく「どうすれば観客が増えるか」に着目してしまっているのと同じだといえばわかりやすいでしょうか。

結果的に同じことをしているじゃないかと言われればそうかもしれませんが、モチベーションの違いやアプローチのダイレクトさや戦略ミスの犯しやすさに大きな差が出てきます。

理念と行動の整合性には顧客・観客はシビアです。

自分自身の整合性を破綻させないために、当然のこととして自分がやっている事の本質に対する誠実さが問われます。

カネに着目するとカネが逃げる。

リソースに着目するとリソースが逃げる。

目標設定を誤らないためには、枝葉末節を見極め、本質的なゴール設定をすること。さらに、そのゴール達成のためにリスクを取れること。

目標に向かうことを逸らしていなければ手段は問わない。それこそがゲームの本質です。

カネや得点や観客や顧客はそれを見て、付いてくるかついてこないかを自由に決めます。

それでついてこないとき、あなたが取れる行動によってまたそれが汚されるかどうかが決まります。

人々が価値を低く見たものを高く見せかける行動をとってはいけません。これこそが消費者の意見を無視した独善であり、自らの失敗を認められない執着です。

客を裏切ってはいけない。

ゲーム理論の弱点はまさにここにあります。すべての戦略的状況を利得関数と勝敗で判別しようとする考え方に、現代の問題の根源がそのまま数式に現れているのを感じます。

これは、合理的選択理論の不完全性を浮き彫りにするための流れだったように思えます。

そもそもヒトは合理的ではない。

それはなぜかというところまでアプローチしてみると、原点回帰が見えてくると思います。

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