起業という言葉に踊らされるな

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今年だけで100人を超える人との出会いがありました。

考え方の多様性って素敵です。

素敵なことをやろうとしてる人にたくさん出会いました。

そんな中、ひとつ、とーーっても気になることがあります。書かずにいられなかった。

これから新しいことを始めようとしてる方には、是非、読んでいただきたい。

何かを起こすって何?

世の中には『起業家になりたい』人が多くいる事に気がついたんです。

自分もよくそう称されることがあるんです。

でも違うんです。ちょっと。かなり?

まず僕が問いかけたいのは、世の中には、世の中を変えたい!という人がいて、でもその中には少なからず『どこをどう変えたいのか』が全く無い方々が多いのはどうして??ということなのです。

何をどう変えたいのか?

これ、一番大事なことです。起動力の源泉ですよね。

そこが無いのに、変えたいって……。意味がわからないのですよ。

それから、同じような話だけどね、

『起業したい』って人。

起業したいと言うのに、なにでどう起業したいのかわからないという人。

それって、、

  • 社長になってちやほやされたい(自己承認欲求を満たしたい)
  • お金が欲しい(金欲を満たしたい)
  • 社会的発言力を高めたい(権力欲を満たしたい)
  • 人と違う自分でいたい(特権欲を満たしたい)
  • ただ自分だけワクワクしたい(我の強さ)

こういったことのどれかに当てはまるんじゃないんですかね??

もしそうなのだとしたら、まあ何をするのも自由な世界ですけどね、それ、危険信号ですよ……。

もしも上記のようなことを煽る人、つまり上記のようなことが理由で動いてもいいじゃんとか、動かないやつよりマシだよとか言う人が身の回りにいたとしたら、とっても危ういなあと感じるんです。

自分の身の置き所に危機感を覚えてください。

起業をね、私欲のためにしても、食いつぶされるかアンチが増えるか、はたまた満足しないで永遠のループに入るかです。

幸せにはなれません。

幸せになりたくないってんならどうぞ。

でも僕が何を伝えたいのか気になるなら、どうぞ最後まで読んでください。

起業ってね、『業(ごう)を起こす』と書きます。

善業、悪業。

仏教でもよく言われることですが、因果の報いが生じる話です。

なにもここで、善悪の定義の話をしたいわけではありません。

起業とは、新しい業を作る事に他ならない。そしてそれは、世の中にとってみればただシンプルに、何かを処理するシステムがまた1つ増えただけのことです。

例えば『こんなものがあったらいいなあ』とか、『今あるもののここをこう変えたいなあ』という思いがあなたの中にあった時、それを実現するための方法はたくさんある。

方法は無限にある。ただ問題は、人間の想像力には限界があるので、思いつく方法は限られてるというだけのことです。

たとえば、こんな靴が欲しいけど売ってない。そしたら、靴を作る会社に入って、その会社でそれを商品化する方法がある。それは、靴を作るったって必要となる様々な知識や経験を全て持ってる会社がやったほうが、うまく作れるわけです。

つまりあなたのアイデアに、靴屋の経験が掛け算されて、新しい靴が生まれる。

さて、ここに第2の方法があります。

起業してしまおうってやつです。

誰もやったことがないからというだけで、知識も経験もないのにただ自分で作ろうったってそうはいかない。クラウドファンディングするとかなんとかいって、あなたが作りました。そこに、ホンモノの靴屋が参戦したらあなた、勝てる自信ありますか?もし勝てるのならば、あなたはベストな選択をしたといえる。でも勝てないとしたら、それはなぜでしょう?

勝算がないのにチャレンジするのはなぜ?

大手が参入するまでのタイムラグで一儲けしたいからですか?

そしたらあなた、起業する理由は金ですね。

最初にやった栄光を手にしたいからですか?

そしたらあなた、起業する理由は名誉ですね。

創り出したいもの、変えたいものを実現したいというわけではなさそうですね。

チャレンジするなと言っているのではないです。様々な方法に目を向けて、起業というものは、たくさんある方法のうちの1つ。つまり思いを実現するためのただの道具の1つでしかないということを、よく噛み締めていただきたいと思うのです。

正直申しまして、消費者のひとりとしては、ベストを尽くしていない製品をつかまされるのはもう飽き飽きしてるんです。

スマホひとつみても、スニーカーにしても、アイデアだけで中身のない製品を買わされる側の気持ちにもなっていただきたいんです。

伝わりましたかね?

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