先日の茂木健一郎さんの講義『脳とこころを考える』第2回。
講義の中でセレンディピティについて言及があった。昨日、藤田君にAGI(人口汎用知能)について語っていたとき、気がつきました。僕にとってはこの講義そのものがセレンディピティなのであります。
それが茂木さんによる誘導的なものなのかどうかはともかく、アナグラムについても言及があった。
アナグラムとは、ある単語や文章の文字の順序を入れ変えて別の単語や文章を作ることだ。
例えばFeelのアナグラムとしてLeefやFlee。
学問の世界には、プライオリティというルールがある。何か新発見をした時、はじめに発表した人がその功績を認められるシステムのことだ。例えばノーベル賞にしても、初めて何かをなり遂げたり、初めて何かを証明したりした人が、功績を認められるってわけ。フェルマーの最終定理を証明したアンドリュー・ワイルズもフィールズ賞を与えられた。
アナグラムはいわば、後で解き方を教えることができる暗号文だ。
初期の天文学者は、論文が公表される前、自分の新発見を主張するためにアナグラムを用いた。ガリレオは、自身の発見を主張するため、Altissimum planetam tergeminum observavi(「私は、最も遠い惑星が三重星になっていることを観測した」)と言う意味を表すsmaismrmilmepoetaleumibunenugttauirasというアナグラムを作った[6]。
純粋に学問を極めようとする者にとって、誰がはじめにそれを発見したかを主張することは単なる自己満足に過ぎないと思ってた(決めつけてた)ので、はじめの感想は「へぇー、ガリレオほどの天才でも、そこまでして自分の功績を主張したいんだ」くらいに受け止めてた。
しかしですね、藤田くんにAGIの独自理論を展開した後、藤田くんに言われたのですよ。
「これを第一回として、全12回くらいで大学の講義にしたら、面白がって聞く人おると思うで」
なるほど。
僕は僕の理論展開とその結果によって立った仮説や証明を世に広く意図的に主張したことが今までほとんどない。
さてそこで問題です。
この、僕の人生のメインテーマとも言える人工知能理論(現時点では独自理論)を、誰が聞きたがるか?ということです。
ノーベル賞を取った人の講義なら聞きますか?あれ?それってその人が言ってることの正しさの評価じゃなくて、その人の肩書きの強さや、過去の実績を見て、「こいつの話なら聞いてみようか」ってなってるよね。それで度がすぎると「あの先生が言うんだから間違いないのかもしれない」的な話になっちまうんだよね?
僕は、僕が考えてる理論をオープンに伝えたい気持ちがある。なぜなら、より多くの人の評価にさらされた方が自分の気づかないミスを指摘してもらえるだろうし、ミスがないとしたらその理論をより多くの人に展開していってもらえるから、結果的に僕がいま突き動かされてる好奇心が満たされるのが早くなったり、危機だと思ってることの解決が早まったり、一見なんの関係もないように思われてる僕の数ある活動の意味がアカデミックに理解してもらえる可能性がとても高いからだ。
いやーこのジレンマ。なるほどね。
人に話を聞いてもらうために功績の提示が必要なのだね。だとしたら僕も、どげんかせんとあかんやん。
アナグラムは完全に暗号化されてしまってるところが弱点だよね。
と、そこでふと気がついたのです。
Facebookやブログで、独自理論展開を思い切ってできない自分。そのまま伝えたら、『こいつアホやな』と思われて、人が話を聞いてくれるどころか、逆に人が去って行くリスク(?)。
そんなん気にしないでやればええと思うでしょ?
しかしそうはいかんとです。
いま僕が作ろうとしてる組織体系や食堂のビジネスモデルにしたって、仲間集めの段階で相当な難易さがあるのですよ。誤解されちゃうのです。
とくに、従来型現代型の経営思想(資本論の読み違いや無理解による、ビジネスの潜在価値を下げてしまってるのに気がつかず、金銭的な儲けのプラスマイナスだけでプラスだったからといって成功したと判定されてしまってるビジネス)にどっぷり浸かってしまってる人ほど理解されない。
また、せっかく理解してくれたのに、誰か僕の知らない人に相談してしまって『それなんかおかしいから怪しいよ、やめときなよ』なんて言われてしまい、二の足を踏むケース。
僕は、あなただったらわかってくれると思って話したのでありまして、僕の知らない誰かさんにわかってもらうために話をしてるわけじゃないのになあ。ってなるんだけど。
一種の、インスタント常識の合意形成と、その同調圧力による改革崩壊へのハラスメントです。
まあそれは置いといて、僕がインターネットメディアを使って色々主張してることは、深読みしてなんぼです。理解できる人だけ理解してくださいってスタンス。理解していただけない方には、『林ってアホやな』とか『なんやこの自己陶酔』とか『意識高い系乙』とか重れたり、ぶれてると思い込まれたりさするようにできてますからね。
今のところ僕にできるのはこうしたアプローチしかないでしょ。
でもそれが功を奏してて、自律行動に出たいま、あちこちから少しずつ、お店に来てくれるなどして理解者が近づいて来てくれてるのですよ。
アナグラムは使ってみるかどうか。
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