先日、かみさんと二人で喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、転職など将来のことについて話していたら、自分の意見について反論されて、ついむきになってしまいました。
そこでふと、自分の最大の弱点である、「プライドが高い」面が出てしまったな、と深く反省。
プライドが高いという言葉でいいのかどうかわからないけど、とにかく僕は、自分が信じて疑わないことや、綿密な調査をしたうえで発言していることを否定されると、「どうしてわかってくれないんだ」という気持ちになってしまい、否定している相手の意見をあまり聞かなくなるという短所があるようです。
僕自身、人の意見を聞かない人、中でも特に、聞いているふりをして全然取り入れようとしない人は大嫌いなので、自分自身にそういう面をみつけて、かなりへこみました。
あと自分には、人に相談しないで自分ひとりで調べたり考えたりして、結論だけを人に話すという癖もちょっとあるようです。
これをやってしまうと、話している相手は僕がそのような結論に至った経緯がわからないので、短絡的に結論を出しているのだと誤解されることもあります。
そうすると、「そうじゃない、ちゃんと考えて言ってるんだよ」って反論になってしまいます。
すくなくとも家族には、自分の考えていることの根拠や、思考回路をある程度理解してもらいたいと考えているので、これからはちゃんと、経緯も話すようにしなきゃいけないなと思いました。
秋から行こうと思っている大学について、いいことがひとつ。
かみさんも同時期から社会人大学生になるかもしれません。
これは自分にとってかなり嬉しいことであると同時に、ラッキーなことでもあります。
何が嬉しいのかというと、僕がいま一家の大黒柱として働いているし、かみさんもフルタイムでアルバイトをしているから生活面では困ることは何もないのに、自分の将来を見据えて自分のために学習したいという意欲をみせてくれたことが嬉しいのです。
そして何がラッキーなのかというと、二人そろって学生になれば、家族のタイムスケジュールに「学習時間」が無理なく組み込めるため、共にモチベーションを高めあいながら努力できるということです。
実際には僕は大学中退の身なので編入し、かみさんは一年次から入学なので卒業する年は違うことになりますが、僕は卒業した後も学習していく計画ですから、問題ありません。
うちには子供がいません。
周囲には、子供を生き甲斐にしている人たちがたくさんいますが、我が家ではそれは無いのです。もちろん、子供がいるからといって子供「だけ」が生き甲斐の人ばかりではないのですが、うちの場合は間違いなく子供が生き甲斐ということはないので、生き甲斐となり得るものに出会いたいという思いが強くあります。(かみさんにそういう思いがあるかどうかは聞いてません)
学校にいくことによって出会いもあるでしょうし、資格を得ることによって新しい人生がひらける可能性もあります。それに、趣味をつくって人と出会ったっていいと思います。
大事なのは、前向きに何かに取り組んでいることだって、思ってます。
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