ここしばらく、自分がおこす行動と、責任について考えていました。
自分という人間はひとりしかおらず、僕が24時間、365日の間にできることは限られていて、それは皆さんと大して変わりません。
一番大切なものは間違いなく、自分の家族です。
その家族への思いを大切にしながら、家族ではない人に対して行動することの難しさ。
水谷先生に、本当は今日質問したかった。
先生は、ほとんどの時間を子ども達に捧げていますが、ご自分のご家族への愛情とどのようにして両立させているのでしょうか、と。
たしかに愛情というものは、行動そのものを指すわけではありません。
気持ちがあればいいのでしょう。
しかし僕は不器用な人間なので、一度に何人もの人を同時に相手することはできない。
たとえば、Aさんと対話しているときは、たぶん95%くらいはAさんのことでいっぱいになります。
その瞬間は、Aさんのことに集中しているんですね。
だから、Bさんのことは頭から消えています。
すべて忘れてしまうわけではありません。あくまで限られた時間の話です。
そして、やっぱり戻るところは「家族」のところ。そして、家族のことを考える時間は圧倒的に多い。
そういう意味で、家族が一番大切、と書いた訳です。
しかし、困った人がいて、その人に対して自分にできることがあると判断したとき、そこに手抜きは一切ありません。それが僕の性格。
極端な話、本気で関わっている相手に対しては、自分の家族に対してとる行動と同じ行動ができる。
しかし実際にはブレーキがかかります。
それは、家族がいるからです。家族の幸せが第一だからです。
これは、うまく書けませんが、僕の前提で、基本で、全てです。
僕が独り身だったら、どうなっていたかわかったものじゃありません(^^;
僕のこういう性格は、家族へも知らない間に負担をかけている。
このままではよくない。
アプローチのしかたを考えなければ。ということです。
■ミチノキ | これは誰の身にもかかえうる永遠のテーマですね。 個人を相手にだけ生きる人間と、多くの人間を相手に生きる人間とじゃ、おおよそ抱えなくてはいけない問題もふえるでしょう。 たくさんの人間に平等に愛を注げる人間はそう多くはありません。 しかしそんな人は現実におり、私たちの社会はそういう人間を強く求めています。 芸術家でも。。。自分の信念をつらぬくために独り身を貫く人はすくなくありません。それほど、二束のわらじは両立は大変です。 でも。大きなことができなくても、「いつもこころの傍らに置くこと」「忘れないこと」で何かが少しずつかわってゆくはずです。 具体的にいえば、街中にゴミを捨てない。そのような小さな心がけです。街を汚す社会は軽犯罪が増え、さらに凶悪犯罪もふえます。それは、証明されています。一つのゴミの投げ捨ても許さない。そんな「小さな」ことが街を、人を変えてゆくのだと私は思います。 それは、決して難しいことではありません。 街を汚さないことをもっと心がけるべきです。私はそう感じています。1つのゴミを放置しない街づくりが、1人の人間を見捨てない街づくりになると私は思っています。 ひとのこころに美しいものを美しいと感じるこころを蘇らせましょう。そこに、救いのヒントが隠されているのではないでしょうか? ..2004/04/05(Mon) 14:01 (9)
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■うずら | できることをする。まさにそうですね。 ゴミなんかも、きれいな心をもっていると、なかなかポイ捨てできないですよね。 公共のマナー違反しまくっている人が、いくら人に偉そうな事を言っても、説得力が無いですし、心の持ち方が前向きだったら、マナーも自然に守られていくと思いました。 僕も、ポイ捨てしてました。昔。(タバコ) やっぱり、心が狭かったんだと思います。 まずは、自分からですね! ..2004/04/05(Mon) 17:48 (10)
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■ミチノキ | あるアメリカの街で実際に行われたことらしいですが、ゴミをへらし、街を綺麗にしただけで本当に犯罪率は減ったというのです。この考え方は専門家の間ではすでに浸透しており、日本の地域でもそういう観点からの街づくりをおこなっていたようなおぼろげな記憶があります。ゴミといわれて一件「へ?どういう関係があるの?」と思われがちですが、実は密接な社会病理の一因となりうるのです。すごいですよね。(>_<)
..2004/04/05(Mon) 19:53 (11)
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■うずら | そういった視点で調査や研究ができる人って、すごいと思います。 でも、なんとなく言われてみれば分かる気もしますね。 自分の部屋も、散らかってると気持ちが荒むし、整理整頓されていると気分がいいです。 そういった些細なことが、犯罪の原因となる心理を作り出しているのかもしれない……。 大阪の友人が東京に来たとき、東京はきれいだと、しきりに言ってました。 ゴミが無いと。 僕は大阪に行った事がないので比較できませんが……。 ..2004/04/05(Mon) 21:12 (12)
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■ミチノキ | その地域の隅々までいかに目が行き届くかが肝心なのです。昔の地域社会では、市民が当たり前に家の前と公道を清掃し、たとえ自分の子どもでなくても近所の大人が子どもを叱っていましたよね。どこに誰とういう人間が存在していて、お互いが困ったときはお互いを助けて。そういうことが欠如しているんだと思うのです。 ちなみに先に述べたアメリカのある地域は、街に警察官を増やしたそうです。彼らも率先してゴミを拾ったみたいです。街を汚すことは悪をはびこらせることに等しいのです。 丁寧に日々を行う社会のゆとりが欲しいですね。 ..2004/04/05(Mon) 22:06 (13)
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