相手の気持ちに立って考えること、これも想像力

最近暗いことばっかり書いてたので、ちょっと違うことを。

たとえあなたがプロの役者ではなくても、想像力をふくらませれば、
「もし自分がこの人の立場だったらどうだろうか」
ということが考えられると思う。
よく、「相手の気持ちになって考えなさい」とか言われたよね?
ここで、どれだけリアルに相手の気持ちになれるか。
実は、人と人とのコミュニケーションにおいて一番重要なのは、これなのだ。

人間なんて一人一人、生い立ちも経験もなにもかも違う。
ただ、「同じような境遇」にいたということで、「似てる部分が多くなる」ことはある。

四六時中一緒に暮らしている家族で、共通点が多いのは当然で。
同じ学校の生徒。
会社の同僚。
同じ郷里の出身。
日本人であること。
アジア人であること。
地球人であること。

共通点が少ない相手ほど、相手の気持ちを想像することが難しいのは当然だ。
同じインプットを与えて、同じ感情を抱くかどうか。

自分が野菜を食べてる横で、牛のステーキを食べている人がいても、日本人ならほとんどの人が気にしないだろう。
これがインドだったらどうだろうか。
肉を食べる人と一緒に食事をしたくない人もたくさんいるのだ。
そんなこと、知らなきゃ想像もできない。

最近、ネットでのコミュニティが多様化している。
掲示板、ブログ、SNS、ニュースサイトのコメント、チャット、etc.
軽い気持ちで覗いてみると、「どうしたらこういう考えに至るんだろう」って意見が多い。

どこかの芸能人が不謹慎なことを言った。
ブログが炎上した。
泣きながら謝罪した。

中国の餃子にしてもそう。

相手をいたわる、つまり相手の立場になって考えるということ。
「そんなこと考えてるよ」なんて言葉は、いらない。
相手の立場が想像できない人には、想像できるのにしないことに慣れてしまった人と、想像することが能力的にできない人がいると思う。

想像力って、経験に裏打ちされているのである。

「相手がこう感じているかもしれない」と仮定したとき、「その仮定はあくまで仮定だ。本当にそう思っているかどうかもわからないのに、なぜそこまで配慮しなきゃいけないんだ」という人がいる。

相手が感じる可能性のあることを、先読みして配慮する。
これこそが、日本人の美しさではなかったのか。
僕はそう思って生きてきた。
過剰なくらい、相手の気持ちを察する。察しようと努力する。その上で、解決策を考える。コミュニケーションを図る。
相手に同じことを求めてはいけないと思う。
これはあくまで自分がそうしたいからそうする。そのスタンスが重要だと思う。
それが、あなたの価値になる。
それが、コミュニケーションスキルだ。
経験もなくて口先だけ相手の話に合わせるのが得意な人が、「私の長所は、人とコミュニケーションを図ることが得意なところです」なんて言ってるのを見ると、おいおいって思うよ。

コミュニケーションスキル、自分なりの定義。
コミュニケーションにとって何が大切なのかを理解(自分なりに定義)していて、どうやって相手との意思疎通を深め、切り開いていくかという手法を持っていること。
どうやって相手の経験を自分が取り入れられるか。相手の気持ちを理解していく過程を持っているか。

たとえば、アメリカでのこと。
一般的にあの国では、どんなにわかりやすい状況でも、自分で言葉にして主張しなければ、相手は理解してくれない。そういう文化的土壌なのです。
というか、僕の個人的な感想としては、相手の気持ちを「察する」文化の定着している国のほうが少ないように思える。

おなかが痛いとき、つらそうな顔をしているだけで「どうしたの」ってきいたりするでしょ。

すごくシンプル。相手の気持ちに立つには、相手の気持ちの土台となる経験を理解する必要がある。
頭で理解するだけじゃ無理。体で理解する。つまり経験なのだ。

生粋の江戸っ子が、大阪人の考え方を知りたかったら、大阪人について文献を調べたりTVで関西のお笑い芸人を見たりするだけじゃ、足りないでしょ。
一番簡単な方法は、大阪に住むことだ。これこそがリアルな経験。

ロシア人の気持ちが知りたかったら、ロシアにいくのが一番早い。

世の中あまりにも、相手を知らずして相手を批判することが増えすぎてる。
これが、世界が狭くなったことによって起きている問題なのだ。
相手の立場に立って物事を評価してみたくても、相手の本質を知らないから、自分の視点でしかものを言えない。

すくなくとも、自分が少しでも経験したものに対しては、発言の責任があると思うんだ。
そうじゃないと、「自分ルール」で判断したいろんなことが、なにもかもダメにしちゃう。

「自分は相手を理解している」と思ったとき、それは失敗するとき。
自分自身ですら理解できないのに、他人を「理解している」なんて間違っても言えない。
理解できない相手を拒絶してしまったら、そこで終わりだ。

海外の人とコミュニケーションをはかるということ。

たとえば僕のいまの仕事は、オンサイトコーディネーターとか、ブリッジエンジニアとか、いろんな言われ方をしているんだけど、とにかく言葉がわかってればいいってもんじゃない。

英語が話せて、日本語が話せる。それは、ただの言語の問題。共通の記号の問題。

問題はその記号を使って、どう意思疎通していくかなんだ。
たとえばいまここに、ネイティブと同じレベルで英語も日本語も話せる人が現れたって、僕はびくともしない。
なぜなら、僕は「言語」で不足している部分は、いろんな方法でカバーできることを知っているからだ。
ボディランゲージもある。絵だって描ける。難しい言葉は、簡単で自分のわかる言葉に直して言えばいい。
ニュアンスを伝えることが重要なのだ。

そして、相手の立場を理解しようと常に努め、相手の気持ちを考えること。
どうして今この人はこんなことを言ったんだろう。
理解できないことを言われたら、「こいつは変だ」って思いますか?それとも「自分がまだ知らないルールを前提に何かを伝えようとしているのかもしれない」って思いますか?

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