お茶の間

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むかし、「お茶の間」というドラマがあった。
なんかくだらないドラマだったけど、主人公が、
「俺はあったかい家族ってものを知らない。あったかいお茶の間ってものを知らない。だから、お前とあったかいお茶の間を作りたかったんだ」
みたいな台詞を言ったのを聞いて、ガーンと心打たれた記憶がある。

小学校の頃から、もう俺は自分の家にいてあったかいとか感じることは皆無だった。
それでも、家庭に依存しなければ生きていけなかったから、子供を演じていた。
いまでも、演じている。

いま、自分を支えているのは、家族だけだ。
だが、それも大きな負担を相手に強いることになってしまっている。
俺がこんな状態なばかりに。

シェリー 俺は転がり続けて こんなとこに辿り着いた
シェリー 俺は焦りすぎたのか むやみに何もかも 捨てちまったけれど
シェリー あの頃は夢だった 夢のために生きてきた俺だけど
シェリー お前の言うとおり 金か夢か分からない暮らしさ
転がり続ける 俺の生き様を 時には無様な格好で支えてる

「俺頑張ってるよね?」
「俺よくやったよね?」
褒めて欲しいわけじゃない。
本当に、うまくやっているのか心配なだけだ。
本当に、全てを出し切って頑張ったのか、知りたいだけだ。
頑張っても頑張っても、上には上がいるんだ。
だからどれだけやったって、だめなんだ。

シェリー 優しく俺をしかってくれて そして強く抱きしめておくれ
おまえの愛が すべてを包むから
シェリー いつになれば 俺は這い上がれるだろう
シェリー どこに行けば 俺は辿り着けるだろう
シェリー 俺は歌う 愛すべきもの全てに

友達とか先輩とか後輩とか、そういう繋がりについては、
時期や価値観の変化とともに変わり行くものだとおもうが、
今は友達と言える人がだれもいない。

でも寂しい人生だなんて思ったことはない。
来るものは拒まず、去るものは追わない。

ひとはどんなにたくさんの友達がいようがいまいが、孤独なんだから。

シェリー 見知らぬところで 人に出会ったらどうすりゃいいかい
シェリー 俺ははぐれ者だから おまえみたいにうまく笑えやしない
シェリー 夢を求めるならば 孤独すら恐れやしないよね
シェリー ひとりで生きるなら 涙なんか見せちゃいけないよね
転がり続ける 俺の生き様を 時には涙をこらえて支えてる

人からどう思われているかなんてどうでもいい。
ただ自分が、自分に偽りなく、一生懸命やっているのかどうか、それが知りたいだけ。
俺がいまうつ病っていうことも、自分で疑っているんだから。
本当は、自分の何かが、努力が、足りないんじゃないかとか、
自分が甘いだけなんじゃないかとか、疑念だらけの毎日なんだ。

シェリー 憐れみなど受けたくはない
俺は負け犬なんかじゃないから
俺は真実へと歩いていく
シェリー 俺はうまく歌えているか
俺はうまく笑えているか
俺の笑顔は卑屈じゃないかい
俺は誤解されてはいないかい
俺はまだ馬鹿と呼ばれているか
俺はまだまだ恨まれているか
俺に愛される資格はあるか
俺は決して間違っていないか
俺は真実へと歩いているかい

いま、お茶の間だけが、自分の支えになってる。
これをなくしてしまったら、なにも残らない。

こんな状態もよくないって思ってる。
負担をかけてるってわかってる。

みんなごめん。

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