逃げる手段

この記事は約3分で読めます。

逃げ方を知らない奴は、弱い。

別の言い方をすれば、逃げ道を知ってて逃げずに戦う人は、逃げ道がなくて八方塞がりで戦ってる人より強い。

但し、

「逃げ方を知ってても攻めを知らない人は、一番弱い」

攻めっていうのは意外に簡単なもんなんですよ。

本気か、本気じゃないか。
それだけ。
ほんとにそれだけ。

本気という文字を使うとき、そこには度合いとか無いんだ。
「80パーセント本気」とか
「かなり本気」とか、それは本気じゃない。
本気っていうのは、窮鼠が猫を噛む状態と同じ。

そういった意味では、崖っぷちを背にしてもう後がない奴は、前に進むか死ぬかしか選択肢がないから、ものすごい戦闘力になる。
一度これを経験すると、攻めるというのがどういうことか、体で理解できる。
全精力、持てる力をすべて、一点に集中させるということが、できるようになる。

しかし残念なことに、攻め続けることは誰にもできない。
どこかで息切れする。

だからね、
「いつでも自分は100パーセントです!!」
なんて言ってる人は、まったく信用できない。嘘つきだなーとか思っちゃう。
もしくは何も考えてないのかも。

で、攻めるときは、攻める。
何パーセントとか関係ない。死ぬ気で。
明日はないと思え!

自分はよく、命をろうそくの灯にたとえて考える。
冒険を恐れている人は、ガンガン燃やすことができない。
燃え尽きてしまうことが怖くて。
でもさ、風が一吹きしただけで、消えちゃうことだってあるんだ。
そんときに、どんだけろうそくが長く残ってたって、終わり。
だったら燃やしてみた方がいいじゃん。
ガンガン燃えてみろって。
「あれっ?意外にも俺のろうそくって燃え尽きないもんだな」
そう思うはずだよ。

閑話休題。

逃げるっていうのは、世の中であまり印象がよろしくない。
でも、どうして逃げちゃいけないんでしょうね。
逃げるべきときは、逃げていいんだ。

でもそれは、がむしゃらに逃走するってことじゃないんだと思う。
それやったら、また一からやり直しなんだよね。

押しては引く、浜辺の波のようなイメージ。
引くべき時に押したって、どうにもならんのです。

 

あとね、これが一番いいたかったことなんだけど、

引かなきゃいけなくなったときに、どうしたらいいかわからないと、コケます。

コケかたを知ってるっていうのが、逃げ方を知ってるってことです。
柔道で受け身の練習をしておくようなもんかな。

いろんな逃げ方を知ってる人は、ほんとに強い。
すさまじいパワーを感じる。
仕事してても、「こいつは手強いな」って思うのは、ガンガン押してくるだけの人じゃなくて、引き方を知ってる人。

引くに引けない状況になってしまうと、折れます。ぽっきりと。

押しのパワーが強ければ強いほど、折れたときのダメージもでかい。

下手すると、廃人になるわけです。
だから、この世の中、鬱病になる人とか自殺しちゃう人が減らないんですよ。
みんな、まじめだから。
逃げるなって言われているから。

しかし、最後まで生き残るのは、最初に書いたとおり、逃げ方を知ってる人。

 

なんでこんなこと書いてるかというと、
最近身の回りに、「まじめに生きてきて、まっすぐ戦い抜いてきて、転び方を知らないばかりに、コケて立ち上がれなくなっちゃう人」がたくさんいるから。
「俺は絶対に転ばない、転ぶわけにはいかない」ってのは、ちょっと恐ろしいよ。
「俺はいつか転ぶはず。だから転んだあとのことも考えてる」
このほうが絶対いいって。
もっと肩の力を抜いていいんだよ。

コメント

  1. Ambie より:

    だれのことを指してるのかは存じ上げませんが
    長続きしない窮鼠状態の火事場パワーよりも、引き際がある余裕のある力の方が、見てて楽に感じますね。
    スマートな感じがします。

  2. うずら より:

    ですよねー。
    まあ、誰のことを指してるわけでもないんですが。