体重こそ理想通りに減っているとは言い難いが、ランニングを始めてから体の調子がすごくいい。
しかし今、これはうつ病とはほとんど関連性が無いのではないかという不安を覚えている。
最後のうつ病を乗り越えてから、3度目の冬を終えようとしている今、危機感に襲われている。
今朝目覚めてから、明らかに調子がおかしい。
気のせいかとも思ったが、時間が経つにつれ、疑いは確信に代わりつつある。現在、午後2時。状態はすこぶる悪い。
まず始めに、「どうして?」という強い思いが頭の中を駆け巡った。この事態を避けるために様々な努力を積み重ねてきた。それにもかかわらず、またあの悪夢的な精神状態が頭をもたげてきたのだ。
これまで数回にわたり、うつ病を再燃させてきた。最大の失敗は、その「予兆」を予兆として受け止めなかったことにある。予兆を「気のせい」にしたくなるのだ。もうあんなことが二度と繰り返されてはならない、という強い感情が、冷静な判断力を奪うのだ。
かくして、予兆を無視し「大丈夫だ」と決めつけたかつての自分は、大きく転び、うつ病を再燃させた。
その反省を胸に、予兆に対しては敏感になろうと決めた。
起きる前に、対策を打つ。津波が来る前に、防波堤を置く。
これは効果をあげた。ここ数年間、問題なく過ごしてきた。
しかしここにきてまた来るか!?
本当にもう、いい加減にして欲しい。
仕事もプライベートも色々あるけどうまく楽しんでやってる。ランニングが楽しい。ご飯がおいしい。何がいけないのか?本当に、何がいけないのか。
経験のある方ならおそらく同意してもらえると思うが、うつ病は完治しないと私は思っている。
薬の力あるいは環境の改善など別の方法をうまく使うことによって、限りなく完全寛解に近い状態に持ち込むことができる。これができなければ、辿るべき残された道はひとつ。死あるのみだ。人によって進む速度の違いこそあれ、周囲の努力はその道を歩む本人の速度を緩めることしかできない。
しかし同時に、薬以外でも取れる対策はあると信じてきた。
形而下の個人に起きる現在のすべては、経験によって積み上げられてきたものだと思う。脳内で起きていることに限らず、肉体的なものも含めてすべてだ。
たとえば運動を繰り返せば強靱な肉体がつくりあげられると同時に、運動をしなかった自分とは違う精神状態がつくりあげられる。
ある特定の音楽を聴いて涙するのは、経験と深く結びついているからだ。
同様に、うつ病も経験と深い結びつきがあるように思う。
自分にとって特に重要なのは、再燃するプロセスを解明することだ。これには一般的というものがないと思う。だから、医者に頼っていてもどうしようもないのだ。医者は当たり障りのないことしかアドバイスすることができない。睡眠は多く取れとか、頑張るなとか、リラックスしろとか。
再燃するプロセスには何らかの法則があるに違いない。
だが、その仕組みが分からない。とはいえ、平和に生きていくためには、うつ病をなるべく起こさないよう細心の注意をする必要がある。
というわけで、自分なりにまとめた「再燃防止マニュアル」がここにある。
- 体内の糖度を上げすぎない
- 生活に運動を取り入れる
- 極度の睡眠不足を避ける
- 睡眠しすぎを避ける
- 早起きする。休日も午前中に起きる
- 何事にも「完璧」は無いと肝に銘じる
- 仕事とプライベートの切り替えをはっきりさせる
- きりの悪いところで仕事を止めない
- 休みの日に仕事しない
- 仕事中に遊ばない
- 体を冷やしすぎない
- なるべく太陽の光を浴びる
- 冬は特に注意する
しかしこれは、役に立っているのか立っていないのか全くわからない、なんとなく作っただけのマニュアルである。
そして今回、このマニュアルが役に立っていないことがわかった。たぶん正解(の一部)は含まれているのだろうという気はするけど、十分に洗練されていない。
上記すべてをこなすことができれば世話はないが、それこそ「完璧」を求める姿である。逆効果になりかねない。
世の中に「うつ病」と呼ばれているものの正体は、よくわからない。まるで「風邪」のようでもあるし、「がん」のようでもある。「自律神経失調症」のように、つかみどころがない。もしかしたら病気ですらない、原因があって導かれた結果、つまりただの正常な精神的状態なのかもしれない。
医学的に、うつ病のプロセスは解明されていない。
現在「うつ病」と呼ばれる範囲には、複数の病気が混在しているのではないだろうか。
うつ病は現在、心と脳の病気だといわれている。
この、心と脳という、まったく種類の違う単語が同列に並べられている事に、違和感を覚えざるを得ない。
脳はわかる。頭蓋骨の中に収まったあの物体だ。様々な信号が飛び交い、体の隅から隅まで制御し、思考する器官だ。
では、「心」とは一体どこにあるのか?
Wikipediaによれば、うつ病の「脳の病気」の仕組みについて以下のような説明がある。
「脳の病気」という面では、セロトニンやアドレナリンの不足が想定されており、脳内に不足している脳内物質(ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンなど)の分泌を促進させる薬物治療を行う。これが心療内科や精神科におけるうつ病治療の主流になっている。
しかし私は今まで何度もうつ病を再燃させているが、脳内物質の測定をされたこともなければ、如何なる化学的検査も受けたことがない。
小学校低学年の頃、原因不明の腹痛・頭痛に悩まされた時期がある。医者に診てもらうと「自律神経失調症」と言われた。
しかし一向に良くならない。母親はたいへん心配し、東に名医がいると聞けば私を連れて行き、西によい大学病院があると聞けば予約して私を診せた。
診察の内容も一般的な血液検査、レントゲンなどから、CTスキャン、脳波測定、果てはロールシャッハテストやESPテストのような訳の分からないカードを使ったテストまでやり尽くされた。
しかし誰にも私の腹痛の原因は分からなかったが、医者も「わかりません」とは言えないのだろう、それで「自律神経失調症」という便利なカテゴリに私はセットされ、当たり障りのない頭痛薬と腹痛薬を処方され続けてきたのだ。
日本心身医学会では「種々の自律神経系の不定愁訴を有し、しかも臨床検査では器質的病変が認められず、かつ顕著な精神障害のないもの」と暫定的に定義されている。ただし、この病気は日本では広く認知されているもののDSMでは定義されていない。ICD-10 においては、G90 Disorders of autonomic nervous system [1][2]に分類され、特定の病名に帰着しないものを G90.9 としている。
この病気は昭和36年ごろに東邦大学の阿部達夫が定義したものであるが、現在も医学界では独立した病気として認めていない医師も多い。実際この病気は患者の症状も多様である上に、ストレスなどの精神的な問題も関係しているとみなされているため、非常に曖昧に使われている病名であるといえる。
この病気は実際にはうつ病やパニック障害や身体表現性障害などが原疾患として認められる場合が多く、原疾患が特定できない場合でもストレスが要因になっている可能性が高いため、適応障害と診断されることもある。また、癌などであっても似たような症状が表れることがある。
また、原疾患を特定できない内科医が不定愁訴などの患者に対し納得させる目的でつける、と言う否定的な見解もあり、内科で自律神経失調症と診断された場合は心療内科・精神科などでカウンセリング・投薬治療を受けることを勧められている。
私が小学生の頃には、心療内科などというものはあったのだろうか?
当時はどうだったか記憶していないが、精神科というものは、「頭のおかしくなった人間がかかるところ」という偏見があったに違いない。
そもそも、小学生が自律神経失調症を理由に心療内科や精神科にパスされる仕組みも無かったのではないか。
仮にあったとしても、心療内科や精神科で私の問題が解決できたとは到底思えないのだが。
この自律神経失調症の状況と、いまのうつ病の状況は、救いようがないという点で非常によく似ている。
もしかしたら同源なのかもしれない。
とにかく言いたかったことは、うつ病という病気は、現代の医学では何も解明されていない、訳の分からない病気だということだ。
一体自分には何の問題があるというのか。
気分が落ち込んでしまって仕方がない。
仕事が手に付かないほどではないが、こうして何かを書かずにはいられないほどにショックを受けている。
今日は皇居で走る日だけど、早く帰って寝たい。
寝れば治るかもしれないし。
コメント
この時期は調子悪くなる人が多いのかな。
知り合いと、夕方の仕事場の関係者、俺の回りでも調子悪くなってる人が二人いる。
> ちゃぼ
うん、多いんだよ。
日照時間と関連性があるかもしれないって誰かが言ってた。
北欧諸国が生活水準高いのに自殺率が高いのも、そのせいらしいって。
冬は嫌いじゃないんだけどな。