↘↗

この記事は約3分で読めます。

ラスベガス出張は結果的に良かった。おかげで体も復調できたし、モチベーションも上がった。それから、ここ数年の間、ハムスターのように同じところでグルグル回っていた思考から脱出する取っ掛かりができたように思う。

病気対策の一環ともいえる運動は10月に入ってから控えめになってしまっているが、反省ばかりするのはやめて、たまには頑張ってる自分を褒めてやろうじゃないか。自分を責めてばかりいるから、他人から評価されたい気持ちが強くなってしまうのだ。

会社の同僚(元上司を含む)と現地でいろいろ話すことができたのは、非常に大きな収穫だった。気づきを与えてもらった。やはり人間、ひとりでは限界があるね。

とりとめもなく考えてることを箇条書き。自分は心理学者でも哲学者でもないのでうまくまとまらない。

  • どうでもいいことはスラスラと書けるけど、真剣に考えていることをこのような場に記録するのは躊躇するし、心の中で響き渡っている声が文字になって出てこない。
  • 最近の自分の文章は倒置や韻を気にしすぎて可読性が低下していると強く感じるので、論理的な文章を構成できるよう精進する。 ただ何も考えずに書き連ねるだけでは進歩が無いから、様々なシチュエーションを想定してなるべくいろんなタイプの文章を書いていこうと思う。 また、遠まわしな表現になるのは自分の心にも問題がある可能性がある。ストレートに気持ちをぶつける「自信」が必要。
  • 個人情報保護に関して色々とうるさい昨今だが、保護できる個人情報など実際には殆ど無いという事実。そこから目を逸らす人のなんと多いことか。人はたんぱく質の塊ではなく、人の歴史。心象が個性。外観が評価されるのは心の影響を受けるから。構成要素は置換できない。隠しきれないことが多々ある。人生の意味に正解は無いが、個人が定義付けしているかどうかは重要。また目的意識の有無、時間の利用方法、形而下活動における積み重ねが人を構成する。積み重ねで人柄が構築される。ないがしろにすれば、それはすぐに分かるし、逆もまた然り。
  • つまり嘘を並べても意味が無いということ。自分という人間が他者に対してどの程度暴露されている存在なのかを把握すること、つまり客観的な自分自身をどれだけ正確に把握しているかがポイントであり、それを間違うことによって最悪の場合滅ぶ。
  • 内外を接続するパイプは年とともに詰まるし、インプットを既存の経験と照らし合わせる行動が心を曇らせる。経験を活かして正確な予測を得ようと努力することと、経験に頼るあまりにありのままを受け入れることができず、真実を見逃してしまうことは紙一重だ。
  • 人生の時間のうち、どれだけの割合を「ピントを合わせて」生きてきたか。ピントが合っているかどうかもわからなくなることを老化という。焦点を合わせる対象はさほど重要ではなく、鋭い焦点を維持できる能力が維持されているかどうかが最重要か。
  • つまり実世界の時の流れに自分を合わせるために積極的な努力をしているかどうかということだ。
  • インプットの機会に対してアウトプットの機会が少なすぎる。アウトプットすることにより、自己の存在位置を把握することができる。

コメント