警備員のおじさん

近所のラーメン屋に行った。

高速のICの近くにあるそのラーメン屋はいつも混雑していて、週末はいつも警備員さんが駐車場にいて車を誘導してくれる。

降りしきる冷たい雨の中レインコートに身を包み、車を誘導している警備員さん。
僕はラーメンを食べ終わって喫煙所でタバコを吸いながらそれを見ていた。
駐車場の混雑が一段落して目が合って、にこにこと微笑みながら近付いてきて話をしてくれた。

寒い中、大変ですね。お疲れ様です。
隣町から自転車で来たんですか?それは大変ですね。

僕も20年以上前に、警備員やってたんですよ。
T警備っていうところです。あ、ご存知ですか。列車見張員の資格もあったんですよ。
え、今は時給制なんですか?

僕が警備員だった当時は日本の景気も良くて、夜勤だと1万2千円くらいもらえてた。
頑張ってたら昇給もしてくれた。いまは夜勤でだいたい7千円くらいだって。

制帽のつばから雨をしたたらせながら襟を濡らしてるおじさん、67歳。この仕事を10年続けてる。
日勤だけじゃお金が足りないから夜勤も連続してやってて
寝る時間どうしてるんですかって聞いたら、移動中の電車の中。
それでも遅刻したらもう来なくていいよって言われちゃうから、頑張ってる。
ほかに選べる仕事がないから、やるしかないんだって。

☆☆☆

おじさんと話をしてて、いろんな事が頭をよぎった。

簡単にまとめると、

  • 日本の、とくに土木建設業界の景気が良くなる見込みがないってこと
  • 老後の心配を先送りにしても何の解決にもならないってこと
  • 若いころの自分が何者だったか、将来どうしたかったのかを忘れてた・忘れようとしてたってこと
  • 自分がどうして評価を気にする人間になったのかちょっとわかったってこと

日本の、とくに土木建設業界の景気が良くなる見込みがないってことについて

いまのマンションに住み始めて12年、来年に大規模修繕を予定している。いろいろあって僕は修繕委員会のメンバーで、さらに今年は順繰りに担当するマンション理事会のメンバーでもある。そのため2週間に1回は打ち合わせのために週末の1日をつぶしている。

修繕委員会のメンバーの中に、1級建築士で建設会社の設計士さんたちの先生をやってる方がいる。
彼曰く、いま設計士がまったく足りなくて、定年退職や育児退職した設計士さんをとても高い報酬でかき集めて仕事を回しているらしい。
今はそれでいいんだけど、問題は東京オリンピックの後で、人材は絶望的に足りず、ビジネスが増える見込みもなく、いまの若手が経験を積むチャンスも激減し、建設業界は一体どうなってしまうんだろうか心配だって話してた。

1級建築士の合格者数も年々減少し、今年は初めて4千人を下回ったそうだ。

アベノミクスやオリンピックで景気にドーピングを入れたって、そんなの一時的なものでしかないってみんな知ってる。
戦後の経済成長期のような日本に戻るための道が見えている人なんて誰もいない。

警備員のおじさんの給料が上がることはきっと当分ないんだろうな……。

老後の心配を先送りにしても何の解決にもならないってことについて

老後にかかるお金、ひとり当たり3千万?5千万?1億?
生活保護で介護を受けているお年寄りもたくさんいる。
歳を重ねるごとに、遠い話ではなくなってくる。
僕が老人になるころ、警備員の仕事すらなかったりして。

若いころの自分が何者だったか、将来どうしたかったのかを忘れてた・忘れようとしてたってことについて

偉そうなことばっかり言ってるけど、自分が一番下衆だってこと。

寒い雪の積もるなか、始発電車に乗って列車見張員の仕事に行ったときの光景が心に焼き付いている。見渡す限りまっ平らな土地に、2本のレールが一直線に走ってる。かじかむ手を擦りながら、延々と歩いた。やめたら寝る場所も無くなっちゃうから、台風の日だって雪の日だってバイクで何度もずっこけながら、誰も行きたがらない現場に行った。

またあるときはトラックに乗ってた。工場から酒の卸売店まで酒のケースを運んだり、30kgのプラスチックの原料を運んだり、システムキッチンを運んだり、アクリル板を運んだりした。めちゃめちゃ重い荷物を、毎日、毎日、運んでた。先輩の理不尽ないじめに耐えて、配達先のおっちゃんに怒鳴られて、過労で居眠りして追突して給料引かれて、それでも毎日頑張ってた。やめたら死ぬしか道はなかった。

そうそう、引きこもりもやった。ここには書きたくないようなこと、他にもたくさんやった。

やがてこんなんじゃどうにもならないって思うようになって、どうにか長く続けられそうな仕事をしなきゃって思って、
そして今の僕がいる。

あの警備員のおじさんと同じ視点に立っていたはずだったのに、僕はホントにアホなことに、いつのまにか自分が偉い人間にでもなったような気持ちになっていたのだった。驕る者久しからずだ。

それは警備員のおじさんが上だとか下だとかそういう話じゃなくて、僕がいた場所、本来いるべき場所は、風雨に打たれながらもやるしかないっていう、背後が断崖絶壁で一歩も引き下がれない状況にいたってことだ。

アパートよりちょっとばかり良い家に住んで、安定しているような気持ちになって、何を勘違いしてるんだって話。

いま風雨に打たれない仕事ができるようになるために、どれだけ頑張ったことか。それをすっかり忘れちゃってる自分を殴りたい気分だ。

なんだか原点に立ち返ったような気持ちになりました。

そして僕はいつだって警備員をやる準備ができているし、やるしかなかったら仕事なんて選ばない。そうでなくてはならない。

自分がどうして評価を気にする人間になったのかちょっとわかったってことについて

前項のような経緯があって、一歩一歩目標に近づくごとに、もう後ろには引き下がれないという立場でやってきた。
頼れる人は誰もいなかったし、仕事をなくしたら即、寝る場所にも困るような状況だったから。 

それが何を生むかというと、絶対にクビになってはいけないという前提だ。
そのため、他所様の会社で従業させていただいている限り、上司や経営者から低い評価を受けることだけは絶対に避けねばならなかった。

また、人生の安全をさらに確かにするための次のステップに進むために「勉強しようかな」とか「勉強しなきゃ」ではなく、「勉強しなければ死ぬ」という気持ちだった。めちゃめちゃ勉強してめちゃめちゃ働いたら、周りの人たちは評価してくれる。それが嬉しかった。

20代前半〜30前くらいまでがそんな状況で、いろんなところで働いたけど、家は寝るために帰るだけ。休日も会社に出て、月間400時間以上という効率無視な働き方を続けてきた。(自分だけの判断ではなくそういう職場の環境だったし、勉強のための時間も必要だったので無給の時間も多かった)

たくさん働けばよいということではない。気持ちの問題だ。

そういった気持ちを、一体どこに置いてきてしまったんだ自分よ?

評価を気にする部分だけ体に染み付いているようだが、努力しなきゃ評価もついてこないし、そのやり方ではもう限界があるということにいい加減気づかなければいけないのだ。自分を評価できるのは自分だけだということ。

Hiro Hayashi

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