暴力的に消費される音楽

カラオケ、酔っ払い、喫茶店のBGM、テレビ、YouTube、ニコニコ動画、iTunes、インターネットラジオ、SoundCloud、……

今日も音楽が大量消費されてゆく。

音楽はビジネスで、著作権があり、金になる。そしてプロになって音楽で食っていけるようになりたいと思う、そんな世界。 

我々が洞窟で暮らしていた頃の音楽。中世の田舎村にある教会で歌われていた音楽。貴族たちがホールで鑑賞していた音楽。子どもたちが歌い継ぐ音楽。吟遊詩人の音楽。台所で口ずさむ音楽。

音楽と生活は、切っても切れない

勇気を与える。死を悼む。出会いや分かれを刻む。神をたたえる。生活の安全を願う。人生を語る。喜怒哀楽を表現する。愛を伝える。

吟遊詩人の歌に形なんてなかった
童謡や民謡には楽譜すらなかった
人から人へ歌い継がれていくものだった

音楽で生きていくには、社会の懐に余裕が必要だった
それは心のゆとり

いつしかそれは食べるためから肥えるために変わった
好きさものを好きなときに聴くことができない
歌い継いでいくことができない

テレビで流れる曲、iTunesでワンクリックで買える曲。ひとりのファンが何千枚も買う曲。
マスタリングされ、金になっていく。

そしていま、音楽はインターネットに放たれた。
「違法」コピーが出回り、「著作権」を「侵害」しまくっている。

考えてみよう。

お金を取るためのシステムを維持しようとすることが無意味なのではないだろうか。 
デジタル化されたデータを、いつでも誰でも楽しめる音楽は、本来あるべき姿ではないのか。

音楽が誰でも無償で楽しめる時代に戻る。
そんな大きな過程に、私たちはいるのかもしれない。

Hiro Hayashi

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