悪習を断つということ

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世の中には悪習とされていることが多々ありますね。例えばお酒やタバコ。例えばギャンブル。例えればきりがない。

一方、良い習慣とされていることもあります。例えばジョギングや健康的な食生活。例えば早寝早起き。これも、例えればきりがない。

何が良い習慣で何が悪い習慣か?

この疑問に対して答えを他人に求めても、正解はないということに気がつくだろう。

どんな行為にも意味があり、その意味によってその行為が及ぼすあなたへの影響が決まる。それが答えです。

過ぎたるは猶及ばざるが如し、と言います。例えば運動は体にいいものだと言いますが、過度な運動はかえって良くないという研究結果も山ほどあります。

全てはバランスなのです。良いものと決めつけたり、悪いものと決めつけること。ここに害があるということに思い至る。そうすると様々な行動とその影響に関する新しい知見が開けてきます。

世の中には、100%良いものとか、100%悪いものは、ほとんどないと見たほうが自然だと思います。すべての物事には良い側面と悪い側面がある。なぜか?

良いとか、悪いとか。その視点こそが、立場によって異なるものだからです。つまり人が勝手に作った基準において、期待する結果を得られるのであれば「良い」とする。逆ならば「悪い」とする。

これを、決め付けと言います。決め付けは、人を「思考」から遠ざけます。たとえば、お酒は「悪い」ものだと決め付けたら、その人の意識が何らかのきっかけで改革されない限り、その人にとってお酒は常に「悪いもの」として扱われます。その思い込みが強ければ強いほど、再考のチャンスは遠ざかるというわけです。さらに言えば、「お酒」と一言で表しているものも、具体的に何を示しているのか。お酒にも様々な種類があります。ビール、焼酎、ワイン、ウイスキー、日本酒、etc.

「酔う」ということはどういう状態のことなのか?

アルコールとは一体何なのか?

アセトアルデヒドとは?

同様にして、お酒以外の様々なことに対して、単純な一つの視点だけで物事を見ることが視野を狭めることになるというトラップがありますね。

決め付けは、思考を深めるチャンスを妨げます。頭が固いというのは、そういう思考傾向にある人のことです。

大切なのは、人それぞれに異なる体や心の状態があるという事と、何をどうしたいのか、それに対して有効な手段は何かについてよく考えてみることだと思います。繰り返しますが、「良い」「悪い」は個の持つ一時的な、あるいは恣意的な視点にすぎません。ある人のある目的にとっては良い行為も、ある別の人の別の目的にとっては悪となり得るのですから。

例えばタバコをやめようと思う人がいれば、単純にやめればいいだけのことです。そこに壮大なイデオロギーとか思想を支える強い理由を求めるのは、本末転倒としか言いようがありません。タバコをやめたいあなた自身に、やめたいと思う理由がある。だからやめる。理由はすでにあなたの中にあるわけです。

問題は、やめようと思いながらやめられないと、くよくよすることでしょう。これは、行動しない理由を頭の中で作り出しているわけです。タバコをやめるのもやめないのもあなたの自由。そして、やめたタバコをある時点でまた吸ってみるのも2度と口をつけないと固く心に決めてそれを守り続けるのもあなたの自由。やめたタバコをまた吸ったから、意志が弱い自分に失望しますか?あなたはなぜ、そんなに短絡的にものを見るのですか?もしかして自分の決断に自信がない?それとも、他人の意見に踊らされて生きてるだけで、実は心から納得して決断してきていない?

人は学びます。昨日の自分と今日の自分では、違う考え方を持っていて当然です。

それは、表面的なところで欲望に勝つとか負けるとかそんな単純な話ではなく、何があなたにとって最高の人生なのか、あなたの「いま」とは何なのかといった、より哲学的な思考に基づいているのです。それをあなたは意識のどの部分で行っているのか、それを自覚できているのか、そういった違いはあるでしょう。イデオロギーとかコンセプトに影響を及ぼす「気づき」を得る機会があれば、これまで白と決め付けていたものが黒になることは、よくあることでしょう。

悪習とは、行動の理由をよく理解できぬままに、他人の決断に依存して同じ行動をとり続けることに他ならないのです。

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