人生は山のようなものだ。坂道を登ったり下ったり。
半年ほど前に奈良県の玉置神社へ参拝した。創建紀元前37年という由緒ある神社だ。
御神体のある場所まで息を切らす登坂が続く。人は頂上の見えない山を登る時に不安、恐れ、絶望に陥りやすい。しかし人生には頂上の見えない山がたくさんある。
坂道を登ったり降りたりしながら人は様々なことを考える。妄想もする。期待もする。躓くこともあれば、休むこともある。
坂道は重力が生み出した幻想に過ぎない。上下感覚は地球という大きな星の重力下にあるから存在する。きつい登り坂と思い込んでいる目の前の道は平坦だと思い込んでみる。すると幾分か楽に感じられる。
そんなことを考えながら坂道を登った。
双極性障害はおそらくこの人生の坂をとてもきつい坂に感じてしまう、物事を認識する心の問題なのではないだろうか。
頂上のない山は存在しない。
そして、疲れたら休めばいいし、引き返すことだって自由だ。
けれども、下る道ばかりを選択し続けたら、いずれ登るしか無くなるのは想像に難くない。
だからこそ認識を改めるという大きなビジョンについて考えてみることが必要なのではないか。
わたしは提案したい。目の前にある坂道がきついという認識を改めるというパラダイムシフトにあえてチャレンジしてみることの価値を。
超えられない山は存在しない。なぜなら超えられない山は山として認識すらできない。
頂上の存在を信じられるかどうかは自らが決めることだ。
迷ったとき、辛い時に支えてくれる人の存在も大きいのだ。
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