調和する選択肢(導入)

この記事は約5分で読めます。

何事も「答えはひとつではない」ということは僕もこのブログで散々書いてきましたが、答えをひとつにすることで視点が単一化してしまうことが、何事においても全体像の客観視を妨げる主要因となります。

そもそも、1という数字が非常に特殊な存在であることについて考えてみる価値はあると思います。1、単一、唯一無二、孤独、Unique。この世界において1というものは全てにおいて当てはまり、全てにおいて当てはまらないという不思議な状況です。

たとえば「全く同じもの」はこの世に存在しません。たとえそれが原子レベル、素粒子レベルであったとしても、個々が持つエネルギーの状態やベクトル等がすべて違います。ですから、唯一無二というものは存在しない。

一方で、与えられた条件によって答えが変化しない問いというものがこの世に存在するでしょうか。そして全ての条件を考慮することは全知全能の存在でもなければ不可能です。我々人類の全歴史・全知識・全知性を総動員しても見えてこない条件が必ず存在するのです。数学の世界でとうの昔にゲーデルが証明したように、我々は自分たちの都合のよい条件(言い換えれば、進化の過程でそれ以外に都合のよい条件が見つけられていないがために利用せざるを得ない条件)という枠の中で考えよう、というお約束のもとに成り立っています。しかしこれは「学問」という世界におけるルールであり、そんな勝手なルールに従うべき理由もなく、もしもこの宇宙に異なる知性が存在するのであれば、我々のルールなど気にもかけないでしょう。この世界に存在するすべての事象や物事は、そのようなルールで規定するもしないも自由であり続けるのです。

つまり現代文明に生きる我々の多くは、科学・宗教・風習・文化・政治・経済・その他様々に定義されたイデオロギーの枠によって物事の理解を簡易化あるいは一般化するというチャレンジにおいて、見事なまでにその枠に我々自身が囚われてしまったということになります。わかりますか?

あまりにも信憑性が高い体系は、疑うことが困難になります。また人間は、それを証明するために考えたという自身の努力や才能に依存します。ですから、信じて疑うことがないことへの強力な反証を目の当たりにすると拒否反応を起こすことは、何事かを修めた人間にこそよくある落とし穴なのです。

たとえば、1+1は2であるとか、我々日本人に対するイメージだとか、手に持ったリンゴを離したら地面に落ちるだとか、Aさんは頭が良いだとか、Bさんは正直者だとか、そういったことがすべてバイアスというものに支配されています。バイアスというのは、ある方向に偏ってかかるパワーのことですが、なぜこれが起きるかというと、ある方向にはパワーがかかっていないからです。そのパワーとは一体何でしょうか?ここでは個人的な答えを書くことは控えておきましょう。

エネルギーを二次元的に比喩表現してみると、その平面がもつ水平方向の角度は無限にあり得ます。その角度を、ある限定された社会において「共通認識」として統一させようという目論見があることは認めますし、それが様々な「利便性」を生むという考え方に至る過程もよく理解できます。しかし実際にはそのような「共通認識」など存在せず、平面の角度はバラバラなのです。どことどこがバラバラなのか?それは「個」という存在の単位になります。ライプニッツが唱えたように、個の存在同士が理解し合える要素はどこにもありません。理解したと思うのは思い込みです。これをライプニッツは「モナドには窓がない」という表現をしたことで知られています。興味がある方には哲学をお勧めしておきましょう。ちなみに哲学とは誰かから学びとるものではなく、自らの体系を説明していく行為です。そのための刺激がこの世のあらゆるところにあります。

答えはひとつではない。答えがひとつしかないように見えるものはすべて視野狭窄の結果であります。自惚れて狭い世界に留まることをわたしは否定しませんが、より広い世界に足を踏み入れるためにも、くだらないプライドなど捨ててしまったほうがずっと楽しい思索の世界に浸ることができますし、そこから得られるものは絶大な力を持っていることに気付いたとき、プライドなんてちっぽけなものに対する価値観そのものがちっぽけであったと気付く日が来ることでしょう。

調和というものはこのようにして、広げて広げて、どんどん広げていくことで得られる感性の集合です。おそらく永遠に続くのでしょう。フラクタル構造についてご存知でしょうか。どんなに掘り下げても、どんなに広げても、同じようなパターンが同じようなパターンを包含している永遠が続く構造ですが、不思議なことにそれ全体の形はあるのです。

ある物体に、理論的には無限の情報を持たせることが可能です。たとえば広辞苑に掲載されている情報をすべて、あるアルゴリズムを使用して数値に変換してみましょう。このアルゴリズムは、文字列を数値に変換し、また数値から文字列に復号することも可能なものだと仮定します。プログラミングではよくある変換です。これによって得られた数字を距離で表せば、たとえばマッチ1本に広辞苑の情報を記録できます。たとえば得られた数字が「1234532487594872340981」だったとします。(実際にはもっともっと長いはずですが、便宜上。)マッチの端っこから1.234532487594872340981mmのところに印をつければハイおしまい。あとはマッチから1.234532487594872340981mmの位置に印があることをどう観測するかという問題になります。

我々が様々なフェーズで目の当たりにするバイアスにうまく向き合うためには、ひとつの感覚モデルがあります。わたしはこれを調和モデルと呼んでいます。これを説明するためにはまず「感覚」の説明からしていく必要がありますので、この話は次回またここで。

 

コメント