人間関係(個人・法人)に関するひとつの解

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会社で働いてる仲間のことは好きでも、会社のやってることは好きではない。

そんなとき、ザ・コーポレーションという映画の存在を知った。
この映画はまだ前半しか観てないんだけど、会社とは何かについて、会社の歴史や法人の考え方を説明してくれている。

組織には人格があり、心理があり、意志があるということは前々から理解していた。

重要なのは、会社(組織)とは、それを構成する我々ひとりひとりが育てているということ。
会社がやっていることの意味は方針や理想論では決まらない。実際の行動で決まる。
その行動の結果をもって人は組織を評価し、組織間の繋がりが広がったり絶たれたりする。

僕はいま、組織にいる大好きな同僚たちの様々な想いとは裏腹に、どうしても許せない方向に向かって行く組織に対する諦念の間で揺れているのだ。
法人は法的に人格の認められた組織のことだ。その法人に恋をして深く知り、深く関わり、難題を乗り越えながら複雑な気持ちを抱え、それでも理想を諦めずに長く付き合っていくのか。

法人と生身の人間の違いと類似

法人は自分で簡単に作ることができる。法人は生まれて来た理由や目的を創設者が定義して生まれてくるが、その育成の段階において創設者が意図しない方向へと進んでいくことをよしとするかしないかは、子育てと似ている。法人は人間とは違い、存続させない選択ができる。法人には社員と言う名の家族がたくさんいる。系列会社と言う名の親戚がいることもある。

『どの会社に行っても同じか?』
『どんな人と付き合っても同じか?』
諦めの言葉なのか、受け入れの言葉なのか。

世の中にすでに存在する法人は、自分以外の人間が目的を定義して立ち上げたものだ。

法人は1人で成し得ない何かを成し遂げる目的で生まれてくる。

逆に捉えれば、1人で成し得ないことを成し遂げるための、より効果的な手段が他にあるのならば、法人は存在価値を失うか改めるかを迫られ、新しい社会の形が形成されていくのは自然の成り行きだ。

法人は、取引先と呼ばれる他の法人との対等な関係を持たせることができるかどうかで、その健全性を測ることができる。
人間対人間の関係性と同じだ。

パートナーを選ぶことと会社を選ぶことの類似。相手が人か法人かの違いでしかない。

ヒントや断片化した理解はずっと自分の中にあったが、この考えに行き着いたのは今朝のことだ。
様々なことが腑に落ちる。
またひとつ、常識と言う名の洗脳から自分を救い出したと言う思いにあふれた。

組織は私たちを守ってくれる揺りかごでもなければ、過保護する箱入り娘でもない。自由を尊重し、その組織の理念という軸をもとにそれを支えるために成り立つひとつのコロニーのあり方なのだ。
法人と個人の関係性が健全であるかどうかはとても大切なことだ。健全な人間関係と同じように、健全な働き方もある。組織に対する関係性も健全でいたいばかりに、押し付けたり押し付けられたりすることの意味を考えるととても憂鬱な気持ちになる。
健全性よりも金・ルール・成果などの、僕個人にとっては枝葉末節にしか見えないものに執着する人たちが絶えないことはよく理解できる。
人と人の付き合いにおいても僕はその人が金持ちかどうかとか、名声があるかないかとか、成果を出して来たかどうかとか、ルックスが優れているかどうかなんてどうでもいい。
法人も個人も、その人格にフォーカスしているし、そこに関わりたいという気持ちしかないのです。

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