この世でお金を作ることは、単なる遊びでしかない。
この世で何かを作り上げることは、単なる遊びでしかない。
この世で摂理を知ることは、単なる遊びでしかない。
この世のすべては、遊びでしかない。
最も大切なことは、何かというと、実は何もない。
だからこそ、遊びなのだ。自由とはそういうものだ。
すべての定義、観念、主張、動機、思想、感性が、遊びである。
広げながら、掘り下げる。それが自然という脈のフラクタルに流れ込んで、カオスの海の中で昇華する。
昇華というものがうまくイメージできるだろうか。忘れていやしないだろうか。
僕はDNAの記憶を辿る。
0歳の記憶よりも前の記憶はないという思い込みを排除すると、さらに遡った記憶が甦る。
なぜそのような不思議なことが可能なのか? 林は嘘をついているのか?
いいえ。僕は嘘はついていない。
記憶というものに制約があるというのは、時間宗教のようなものだ。
時間というものは高次元の視点で捉えれば、存在しない。
三次元的に把握しようとすると、便宜上そこに存在するかのように脳が処理してしまうだけのものだ。
それは、壮大な脳の錯覚なのだ。
この世の摂理を知ることで、人生はどのように導くこともできることを知る。
人生のゴールはこの世で何かをつくりあげるところではなく、理解によってこの世界の二元性から脱却し、一体性というものの価値を認識することにある。その先には、創造がある。
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