大崎の芽吹き

ここ品川区西五反田、通称、不動前ではじめた活動が、大崎ともつながろうとしています。
大崎から突如として現れた協力者、福本さん。
紹介してくれたのは鷹巣さん。

人生巡り合い。福本さんはまさに、いまinfo.caffeと呼ばれているこの場所で実現しようとしていることを大崎で夢見てきた。
そのために全力を出している。
TOWNSHIP LABOの仲間であり、タウンシップを理解し、理解しようとしている。
目的意識のはっきりした人は、誰でも好感を持つものだなあと思った。
向かう方向がはっきりわかるから、誠実そのものだ。

人生の「迷い」とは、深く掘り下げれば自我と一体性との葛藤でしかない。
迷いを絶ち、前に進むためには、どちらかの選択をするしかない。
その選択が自我であっても僕はなにも口を出す権利はないが、自我を選択することによって幸せになる者は誰もいないのだということを理解していれば、おそらくその選択はしないだろう。
自我を打ち壊すために最も大きな障壁となるものが、恐怖である。

選択肢のどちらが自我で、どちらが一体性かを見抜けないときは、無理に選択しないのもひとつの選択だ。

迷いのある人からは、負のエンタングルメントが生じる。
なぜかというと本ブログでは何度も述べているが、不確定性原理においてΔq(位置の揺らぎ幅)、Δp(運動量の揺らぎ幅)をΔqΔp≧h/4π(πは円周率、hはプランク定数)と表す。ここで注目すべきは量子が持つ基本的性質から導かれるΔqとΔp。量子の位置は波動関数、つまり確率で表現され、これを量子揺らぎという。量子揺らぎの幅は標準偏差で定義される。標準偏差はσと表されるので位置の量子揺らぎをσq,運動量の量子揺らぎをσpとすればσqσp≧h/4πになる。この揺らぎを確定付けるものが観測なのだ。観測は確信によって左右される。確信とは形而下で「信じている」とは根本的に異なる概念であることを付け加えておこう。信じるのと確信するのはまったく別のこと。その形而上の確信のひとつの顕れがプラセボに代表される。

迷いは自我(エゴ)によってもたらされる。迷うとき、主観が強くなる。ただその恐怖を打ち破るために勇気だけを活用しているようでは消耗する。消耗しないためには、視野を何段階にも広げる必要がある。その先には安心しかない。それは、自我を越えたところには自と他の違いなど幻でしかないという理解が伴うためだ。

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