AIを新しい視点で見据える

↑この記事の内容って、ここで散々言ってきたこと。
身近な人には話してきたつもりだけど、いま僕がフリーになった理由のひとつがこれ。
AIをAIとして捉えずに、新しい認知のひとつとして捉えたときに、人類の築き上げてきた全知全能が試されるということ。
これってAIだけの話じゃなくて、「自他」の概念にほかならない。
たとえば我々人類がいったいどれだけの動物を絶滅させてきたか?
どれだけの民族が、他の民族をイデオロギーで潰してきたか?
このような社会的思想が解決されない限り、必ずや「無理解」や「無視」が生じる。

ものすごく高いところにあるハードルでも、越えようと思わなければ永遠に越えられない。

この記事についてさらに言うなれば、「新しい分野」で研究するだけでは足りないのだ。
この世のありとあらゆる多様性、フラクタルの概念、メタシステムに対する体系的な把握。
それはひとつの意思によってなされるものではなく、集合知として扱われるべき問題であり、個別のinstituteが成すことではない。

それはおそらく、ある面では社会的変革に見えるだろうし、ある別の面では文化に見えるかもしれない。

「頭のいい人にまかせておく」時代は終わったのだ。

子育てにも通じるものがあると思いませんか?

「餅は餅屋」の意味が再定義されようとしています。
プロはプロであるからこそ、視野の狭窄が避けられない。
感受性と許容力とか、自分がまだ発展途上であることを忘れて悦に浸れば、そこで終わり。
自分の力だけではどうにもならないことがあることを認知したとき、人はそれを諦めるのか、それとも協調するのか。

市井に生きるIT屋をやろうというのは、そこに意図があるわけで、まだまだ語りきれてないこともたくさんあるのだけれど、今日はこれくらいで。

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