努力という言葉は他人への称賛で使うもので、自分に適用してはいけない。
いったい努力とはなんなのか。具体性に欠けるこの言葉を多用しても嬉しいことはひとつも起きない。
カレーを作るために努力は必要ない。
材料を調達し、加工するひとつひとつのステップがあるだけだ。
検索エンジンで「カレー 作り方」で検索すれば、具体的なステップは山ほど見つかる。
努力とはいったい何なのか?
いまの僕にはよくわからない。
ジャガイモの皮をむくことが努力なのか?
それとも、買い物に行く決意をすることが努力なのか?
もしも「努力」を自分に押し付けようとしてしまったら、危険信号だ。
「努力」という言葉は曖昧すぎるということを意識してみてはどうだろうか。
もしも、やりたくないことをやることを努力というのならば、それこそお勧めできない。
カレーを作りたくないのに作る。そんな人生の無駄がありますか。
やりたいことが見つからない人はほぼ間違いなく、やりたくないことを現在進行系でやっている。
人間は、いちどに複数のことはできない。
カレーを作りながら寿司を握ることはできない。
だからこそ、今この瞬間の優先順位はとても大切です。
やりたいことは、空から降ってはこない。
他人から与えられた情報で「それやりたい」と思うのは、ただの好奇心でしかない。
本当にやりたいことは、やりたくないことを捨てられない人には決して見えない。
だからこそ、努力という言葉は、自分に当てはめてはいけないと僕は思うのだ。
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