闘い続ける

今朝、目覚めと共に大きな理解が降ってきた。
常々感じていたことを、うまく言語化することができたのだ。

人にはバイオリズムがある。
身体のバイオリズム、感受性のバイオリズム、知性のバイオリズム。

その波の大きさは、人それぞれだ。

バイオリズムの波が高くなっているとき、外観。
外の世界にある、あらゆる未知の事象への好奇心にあふれ、それを体験したくてワクワクする。行動力も抜群に上がる。人とのつながりを広げる。

バイオリズムの波はやがて低くなり、内観の時を迎える。
外観で得た経験や知識を振り返り、自分の体系に組み入れる時期だ。
瞑想したり、自分がやってきたことを振り返ったり、深く考察したり。
とにかく考えたり、潜在意識との交流をしたりすることにワクワクする。

他人から見れば、外観の時期と内観の時期の自分は好奇心の対象も違うし行動も違うし性格まで違って見える。

しかしどちらも大切な時間なのだ。

内観の時期にも外観の時期にも共通して、やりたいことをやりたいという意志がある。

たとえば外観の時期(バイオリズムが上がってるとき)、考えるよりも即行動、な自分がいる。それが他人の理解を超えたレベルになったとき、組織に所属していると理解されないことが多い。「スピード早すぎ」「理解が追いつかない」「何をやっているのか意味不明」などと言われる。直感と閃きで行動する時期だ。そしてその行動は、直前の内観の時期に得た結論と仮説を指針にしている。

たとえば内観の時期、人と話すよりも考えることに時間を割きたくなる。好奇心と行動によって自分の実験台にして得たさまざまなデータはすでにメモリ一杯になっており、処理するための時間が必要なのだ。

このようなライフサイクルで生きていると、たとえば毎日同じ時刻に会社に来て、一年を通して同じようなパフォーマンスを期待する組織には居られなくなる。それで辞めた会社もたくさんある。

一定の理解を示してくれる、あるいは理解しようとしてくれる組織もある。しかしこのような自分を社会で本当に活かすためには、現時点では自分ひとりで何かをやるか、自分で納得のいく組織づくりをするしかない。

人はなぜ、うつ病になるのか。

躁うつ病という名前が双極性障害に変わったのは、一歩前進なのだ。
なぜなら躁うつの「うつ状態」と、うつ病の「うつ状態」は似て非なるものだから。

躁うつのそれが先述したように内観のシーズンでしかないことに対し、うつ病の下降線には、「やりたくないことを強制されている」とか「無理難題に苦しめられている」といったことが関連してくる。

双極性障害を持った人は、うつ病になりやすい。それは社会的な課題だ。

躁状態のときに社会不適合とされたとき、反論するエネルギーがある。反論どころか、「おかしいのはそちらの主張ではないか」という議論を好んでする。理解・納得したいからだ。

うつ状態のときに社会不適合とされたとき、反論するエネルギーは既に内向きになっているため、反論もしたくない。多くの場合、関係性の断捨離をするしか道はない。

それでも残る人がいる。それはよき理解者だったり、理解し合うことを前提としていない関係性だ。

うつ病のうつ状態は、苦しみだ。
躁うつ病のうつ状態は、ただの内観シーズンでしかない。
ただしここに説明したような理由で、他人に理解されず、うつ病を併発しやすい。

議論について一言申しておく。

議論とは、相手の主張を打ち負かすことが目的になっている人が多い。現代日本ではとくに多い。

そうではなくて、議論とは、ある命題について複数のスタンスで意見をぶつけあうことによって、その真の姿を浮き彫りにしていく行為だ。

たとえば

「捕鯨は是か非か?」とか「死刑制度に賛成か反対か?」とか、
「毎日規則正しい生活をすることの是非」とか、

それは、YesかNoかの結論を求めていくものでもなければ、自分が支持する意見を通して相手を説得するためのものでもない。

賛成・反対の立場で話し合うときに、相手の意見を否定するということは、逆を返せば、あなたの意見に対する反論を持った人はすべてあなたの敵に見えてしまうのだ。

意見は、あなた自身ではない。
あなたやわたしが信じている意見は一時的なものなのだ。
だから現時点で自分が信じていようがいまいが、その意見に対するあらゆる角度からの意見には、肯定的も否定的もない。純粋なものであるべきだ。

これがわかってないと、あなたの意見は気付かぬうちに相手を束縛する。
他人の意見があなたに素直に入らなくなる。
こうなってしまった人のことを、頑固者という。

「ある程度までなら自分と違う意見を認める」という考え方では柔軟性は成しえない。相手に対する否定感情がある時点で、自らの想像力の欠如であるということ。

これをどうして主張するのかというと、わたしたち双極性障害をもって生きている人間は、公平性や対等な関係性というものに対して、非常にシビアな目をもって生きているからである。

それを害されたとき、それは死をも超える脅威になりえるのだ。

自分を貫くための闘い。
内なる闘い。
命ある限り、続けていくもの。

健全な関係性とは、素直に相手に向き合うことができる、美しい鏡であろうとし続けることだ。

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