論理を超えて

皆様あけましておめでとうございます。

今年のわたしたちは、過去に夢描いた多くの伏線を回収していくことになります。

誰も思いつかないような形であるからこそ、すべての伏線回収があっと驚くような形になっていくことと思います。

すべてのものが繋がっているからこそ、あなたにも、わたしにも、同時に起きるというのが自然な流れです。

なぜ繋がっているのかといいますと、分離したように見える/感じるすべての事象は、より高い次元において、もともと同じものだからです。我々が五感を駆使して感じ取る領域においては、その同じものの違う側面を(投射を)観察しているだけなので、目に見える(と信じ込んでいる)部分だけを有用なデータとして処理しているうちには、つながりを認識することができないのです。

わたしたちの感覚は本来、五感という言葉にあるように「5つの異なる感覚」という形で簡単に割り切れるようにはなっていません。それを分類している大きな理由は、たとえば視覚という限定されたカテゴリを、視神経と一般的に名付けられてしまっている両目で感じ取っているという思い込みのためです。

なぜ思い込んでしまっているのかというと、家庭や学校などでそう教わってきて、それを疑うことをしたことがないからです。疑ったことがある方には当然、いまわたしが書いていることは腑に落ちる話です。

社会のルールや通説、科学が見出した法則など、世の中にある共通化されたすべての「法則」は、ものごとの限られた側面を説明できるというだけの、未完成で暫定的な、経験則をベースに定義された、ガイドラインに過ぎません。

「原理はよくわからないけれど、この解釈だとうまくいく」という、過去の先人たちが見つけてきたベストプラクティスの掘り下げにすぎない。

当然それに対する議論も起きるわけです。なぜなら、最高の経験則に当てはまらない事象が起きることが少なからずあるからです。しかし人は、頑なに信じ切っていることほど、その固定された概念・観念を疑うことが難しいようにできています。そのほうがラクだと信じていると思う自分がいて、そこに自らに与えられた崇高な意志決定権を委ねてしまうことに慣れてしまっているからです。

探求には便利な方法がいくつもあります。わたしがとっている方法の一部を紹介します。

「常識を疑う」

これにはちょっとしたコツが必要です。常識を疑う例:

「時間はすべての生命(意識)において同じ速度で経過しているのだろうか?」
「猫と人間は頭の良さに違いがあるか?」
「眼前にあるように見えるこのテーブルは本当にテーブルなのか?」
「頭痛薬を飲むと頭痛が消えるのは、薬の成分が効いているというのは本当なのだろうか?」

「前提条件を疑う」と言い換えることもできます。

当たり前とされていることをベースに議論展開・論理展開してしまっているとき、当たり前を疑うということ。

「逆転の発想」

すべてのことを逆にとらえてみること。

思考には流れがあります。前方に掘り下げていく(前方展開)か、後方に掘り下げていく(後方展開)か。これはどちらも必要です。実際には前も後ろもないですし、「前・後」とか「+・ー」とか「陰・陽」とか「未来・過去」という表現をすると面倒なバイアスがかかってしまうのですが、理解を得るための便宜上、そう表現させていただきます。

「前」

外観するときには、「わたし」という個によってまだ認知・経験されていないあらゆる可能性を排除・否定することはできません。これが基本ルールのひとつです。
「仮定」「仮説」にとらわれると、視野狭窄によって事実を見逃す原因となります。
自分に都合のよい仮定だけを選択してしまっているとき、外観はできていません。

すべての可能性というものは、「考慮」しきれません。論理では把握しきれないのです。そこで必要なのが「他にも道筋があること」を知っておくということです。そこにtrue/falseを代入する必要はないので、変数をあぶりだして定義する必要はありません。それをやっていると無限の罠に落ちます。だからといって「考慮しきれない」ものを「例外として無視」すると、非常にやっかいな結論に至ります。

情報を外部から得るということについて、高度な平衡感覚が要求されます。自分に与えられている情報についてバイアスをかけないのは、見えているものをどれだけ素直に受け取れるかが大切です。今この瞬間というものについて感じ取れる敏感さ・繊細さが試されます。

「後」

内観においては、外観とは異なり「可能性」の排除が必要です。なぜなら内観においてすべての事象は「今ここにある」ものだからです。

今ここにあるものとは、決して物質的なものだけではありません。むしろ物質的なものよりもそうでないもののほうが膨大にあります。物質的なものを根拠にしようとしているとき、気付きのチャンスです。それを精神的な理解まで落とし込むことがまだできていないというサインでもあります。

あるものだけを数える。

あるかないかが微妙になっているものは、あるがまま・ないがままという状態にしておく度量が要求されます。

定義は言葉

前と後、内と外。

すべてをフローさせておく勇気。その先に見えてくるものが、貴重であるということを体感すること。

行き着くところに必ず現れるのが、

この世は信じたことの現実化

であるという輪郭です。

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