Love takes more time.

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自分の行いを振り返ったときに、肯定できるかできないかのギリギリのラインで思い悩むことを繰り返していても、決して同じところでグルグルと回っているわけではなく、むしろ最大出力で前に進んでいる。

ギリギリだから、悩む。
ギリギリだから、成長がある。
ギリギリだから、肯定できたときに意味がある。
ギリギリだから、失敗もする。
ギリギリだから、学びがある。

エリクソンを辞めてから正確に何年何ヶ月経過したのかもよくわからない。
3年くらい経つの?2年?
それくらい、時間に頓着する暇もないくらい、イマを走り抜けてきた。

素敵な出会いがたくさんあった。
感動することがたくさんあった。
生きててよかったって実感することもたくさんあった。

日々、交差する人々が愛おしい。
いろんな人達の顔が、魂が、走馬灯のように心の中に蘇る。
そんなとき、僕はたまらなく何かを綴りたくなるのだ。
文字を記していくことに満足がある。

自分のやってきたことを振り返ってみたとき、他人の評価は関係ないっていうのは、本当にこういうことだなって、何度経験しても思う。
それは、思いつく限りあらゆる角度から自分の行いを振り返ってみて、まさに「これ以上できることは無かった。やれることはすべてやった。僕にできる最上の対応をすべて試みた」と思えることだ。自分の限界に悲観もない。後悔もまったくない。やり抜いた人にしかわからない。達成感とも満足感とも違うなにか。

正しいことをしたんだな、という実感。

そんなとき、思わず天を見上げるような心持ちになるのは、人間のDNAに刻まれた何かのせいでしょうか。

天を見上げ、想う相手は神様でも仏様でもご先祖様でも自分の潜在意識でもなんでもいい。ただそこにある共通したなにかは、白くて輝いていて、天空の清廉さがあって、美しいと感じられるもの。なぜかわたしたちのすべてが持っているもの。

清濁併せ呑む。この世界に生きていると止むを得ないこと。
汚れとは何か。美しさとは何か。

美しい波動に混じったノイズ。
それを分波したときに輝くいのち。
すべての存在に平等に与えられたなにか。

いのちが輝く瞬間。
人でも、人以外の存在でも持っているもの。

決して自分だけに与えられたわけではないもの。
決して自分だけ与えられなかったわけではないもの。

この世の中がもつequalityは、存在そのもの。揺らがぬ摂理。

Equalityを感じられないとき、わたしたちは内面をみつめなおす。
それが謙虚さというものだろう。

そして見つける。
この世にあるhateはすべて悪い幻想でしかない。

わたしはジリジリといまにも発火しそうなエネルギーを抱え、
触れたら感電しそうな衝動と、自然体で共振する。

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