死を恐れない強さ

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コロナウイルス対策のため、都内の公共交通機関がラッシュアワーでもガラガラだ。乗客のほとんどがマスクをかけている。

一方で自分はというと、まったく意に介さない。マスクもしないし、手洗いうがいも普段通り。

2019年5月24日の臨死体験以来、大抵のことに動じなくなったし、些末なことを意に介さなくなった。

あのとき死ななかった理由が必ずある。その理由は今生でまだ成すべきことがあるからで、それを成すまで死ぬことができない。信じようが信じまいが、そのメッセージが自分に降りてきた。

ということはつまり、やることをやっていくだけである。さらに、道半ばで死すことはないと保証されたも同然だ。これで僕がコロナを患って死ぬようなことがあれば、あのメッセージは嘘だということになるし、なぜ5月24日に死ななかったのか(この世に戻らされたのか)説明がつかない。神と呼んでもいい、運命と呼んでもいい。とにかく説明のつかないことは起きないはずなのだ。死には人智を超えたところにれっきとした理由がある。

自分にとって重要に思えること、今やるべきことをやっていれば、間違いようがない。邪がなければすべて流れのままでOKだ。それで僕が苦しんだり死んだりするようなことがあれば、個人的には5月24日以降毎日与えられてきたボーナスデーの奇跡の連続を満喫させてもらってきたから後悔はまったくないし、生き残るのであればそれもまた後悔はない。

信じるということはこういうことだ。

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