Reunion Minami-Aizu

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1978年。6歳。

当時から、取り組んでいたこと。それはいずれ世界と世界をつなぐ大きな夢を実現するための一歩一歩の着実な歩み。実際には「一歩一歩の着実な歩み」なんてものではなくて、振り返ってみて初めて思うこと、それは、めっちゃしんどかったけれど、止まる・退くという選択肢は無かった。大げさでもなんでもなく、立ち止まることや諦めることは死と同義だった。

毎日が我武者羅で、振り返る余裕はなかった。ただとにかく今やれることをすべてやり尽くすだけ。思いつく手段はすべて実行していた。自分に思いつかない盲点を常に探しながら、リアルタイムで行動の優先順位を決めながら、底をついて明日の食事代すら目処が立たないなかでもなお、止まることは許されなかった。

2018年末。

出せる私財はほぼ出し尽くし、借りられる金は借り尽くし、返済の督促が毎日プレッシャーを助長し、持つ全財産がポケットに入っている20円だけ。そんな状態でも、前進するための仲間ははるか数百キロの彼方にあり、会いに行くためにはお金が要る。栄養不足から体は悲鳴を上げ、謎の激痛、低血圧症状、胸の苦しさ、その他さまざま。正直あの時期は、体の悲鳴をきちんと聴いてやる余裕もなく、全身非常事態。

「身体よ、とにかく今を乗り越えるまでなんとか持ちこたえてくれ、過去すべての体力づくりや健康維持は、いま目の前にある、このチャレンジを乗り越えるためにやってきたのだ」

そんなことをふと思ったことがあったのを、今になって思い出す。

長い間、成果のない暗いトンネルを孤独に掘り進んでいた。【人生の目標を決定するきっかけとなった経験】から40年以上の時が過ぎていた。それからずっと、孤独だった。半世紀近い期間に【達成した成果】も数え切れないほどある。しかしそれらは、我が人生の夢の達成そのものではないので、決して満足できなかった。より大きな夢を実現するために必要な過程でしかなかった。過程とは、仲間とわかりあうためだったり、資金を得るためだったり、学びを得るためだったり、実にさまざまな意味合いがあった。多くの人が、そのときそのときの小さな【過程】の成果をみて、僕にレッテルを貼った。我が人生の目標地点は目先のプロジェクトから見えるようなものではない。最近の活動でいえば、会社勤めでも、カフェや食堂のプロジェクトでも、真の理解者はなく、そして真の理解者などこの世には存在しないということも既に学んでいた。我が夢を導くのはこの世に存在しない崇高なものであり、それはまた同時に、我が夢の完全なる理解者でもある。人はその存在を、神と呼ぶ。

さまざまな出会いや学びを繰り返し、使命の達成が一歩また一歩と近づいていることがわかるようになってきた。遠くまで見渡せるようになってきたのかもしれないし、ゴールが近づいてきたのかもしれない。その実感はある。若い頃は、達成のために必要なのに持っていないものが多すぎて、己の信念を試すかのように何度も何度も絶望が襲いかかってきた。先の見えない茨の道、あるいはトンネル。絶望に支配されそうになったときは、ただ心を無にして、手にしたつるはしを振り上げることに専念するしかない。人生にはそういう時もあるのだ。いつものつるはしが、ものすごく重く感じられるものだ。この一振りに全力をあげることで、果たして意味はあるのだろうかとか、最後まで自分はやり遂げられるのだろうか、途中で野垂れ死ぬのではないだろうか、あるいはこのトンネルの先には信じたものと違うものがあるのではないだろうかなど、様々な黒い疑念が頭の中を駆け巡り、襲いかかる。こういうときは後ろを振り返ってはならない。掘り進んできた距離を確認すれば、絶望に押しつぶされてもう立ち上がれなくなる。バカになれ。バカになっていまこの重いつるはしを持ち上げろ。

こうした極限状態との闘いを続けて、もう駄目かもしれないというところであがいていると、ある時ふと、透き通るような肯定感が心の奥底から湧いてくる。

ここで野垂れ死にしてもいいじゃないか。誰に理解されなくても、もう後戻りはできないし、己の人生をいまさら交換することもできない。だったら自分ひとりでやれるところまでやってやろうじゃないか。

そして幸せに目が向くようになる。

生きて、呼吸して、この比喩的なつるはしを手にとって感じて、チャレンジしている自分をすべて受け容れる。光が己を包み込み、僕はひとり暗闇の中で温かいものに包まれて、熱い感動に涙をおさえられなくなる。

いつだってそれは、そこにいた。でもその存在に意識を向けることがなかった。

まるで小学生のようにしゃくりあげながら、ひとりで泣いた。そんなことが何度もあった。でもそんなとき、天だけは僕を見捨てることがなかった。天は決して物理的な手助けをしてくれなかったが、それは僕が望んだことだった。人として生まれた己の肉体と精神と知恵の限界にチャレンジして、己によって解決していくことが、僕の望んだことだからだ。


2019年5月。

福島、千葉、静岡、長崎、青森、オーストラリア、カンボジア、台湾、すべてが学びとチャンスの場で、今思えば当時の僕はまた相当ギラギラしていたと思う。人生で何度もあった、独りでつるはしを振り上げては降ろす、精神力の限界でフラフラになりながらも、いつものようにギリギリで素晴らしい出会いを得て、ようやく次のマイルストーンが見えてきたところだった。

そんなときに起きた心臓発作は、僕の生命を奪うためではなく、救うためだった。未来がある程度見えていた当時の自分は、既にオーバーワークと限界の状態にあったのにもかかわらず、さらに加速しようとしていた。

逆らえない人生のブレーキがかかり、僕は、つるはしから手を離さざるを得なくなった。

人生をかけて掘ってきたトンネルを完全に諦めることを突きつけられた。

進むべき道がまったく見えなくなってしまった。

いま思えば、立ち止まっていろいろ感じ取るべき時期だった。

入院中に、電話帳を空っぽにし、Facebookをやめて、LINEの友だちをすべて削除した。ブロックはしていない。理由は、こちらから連絡をとることができないようにするため。諦めるためには、すべてを捨てる必要があったのだ。必然の関係性ならば、切ろうとしても切れないものだと信じて。

僕はゼロに戻り、ただの僕に立ち返った。
それから4ヶ月間、心の赴くままに生きることで、自分の知らない自分を発見したり、忘れていた自分を取り戻したり。なつかしい自分と再会したような心持ちだった。絵を描きたくなって、時間を気にせず思う存分描いた。絵を描くのが好きだった自分を取り戻した。動物が大好きだった自分を取り戻した。コンピューターが大好きだった自分を取り戻した。このようにして、自分の中にある部品を分解して、ひとつひとつのパーツを丁寧に洗浄して、完璧に組み直すような作業をすることが、心地よかった。人生のオーバーホールである。

そこから人生の流れがまた劇的に変わり始めるのである。


2019年夏。

入院前の人間関係とは距離をとり、まったく新しい人間関係を構築していた。
予言通り、必然の相手とは、ぽつりぽつりと関係が戻りつつあった。
よき理解者たちはみな、僕を急き立てることもせず、ただ優しくそこにいてくれた。

このままゆったりと生きていたいけれど、僕の人生はそんなに甘く設定されていない。とにかく何か、行動をする。その意欲の種火にまた火がついたようだ。きっかけは多くの人からいただいた。

2019年10月7日。47歳の誕生日に、会社を設立。

資金繰りの問題は何ら解決の目処が立っていなかったが、Z社の迫社長のお陰様で、入院前のような状態は抜け出しつつあった。

ところがそのZ社との関係においてまた、価値観の違いが露呈しはじめる。

またまた僕の生活は危機に向かって下降しはじめる。ここでとれる選択はふたつ。自分を曲げて我慢しながら次のチャンスを狙うか、あるいは新しいチャレンジをするか。

2019年11月、何の後ろ盾もないまま、次のステップのために仕事を探すことを決意する。

いい関係を見つけるためには、見つける前に己の迷いを断つ必要があると感じ、12月、Z社との業務委託契約解除を申し立てた。貯金ゼロ円。借金、たくさん。

辞める宣言をして後戻りできなくなったその瞬間から、流れが変わった。

以前からお付き合いのあったヘッドハンターから電話がかかってきて、その縁で次の働く場が決まった。

その会社は、ただの出稼ぎの場ではなく、人生の目標に深く関わる場であることを認識し、12月30日に第1次面接。翌2020年1月に採用決定。

2020年2月。

入社。自分の会社と、新たに就職した会社を二足のわらじで進めるスタイルに変化した。

2020年4月。

就職した会社のSさんが僕とFくんの会社に共同経営者として参加することが確定。

2020年5月。

Sさんとのディスカッションで、新たな事業や社会活動の流れのビジョンが見えてくる。

1年間止まっていた、南会津の活動再会のためにコンタクトをとれる時期がやってきたと実感した。さっそく連絡をとるが、コロナウイルス感染症の騒動でまだ会えず。

2020年7月4日。

1年ぶりの南会津訪問。

昨年まで見えてなかったものがたくさん見えてくる2日間。成果は出ていないように見えて、知らぬところで出ていることもある。

南会津こそが、はじまりの地として相応しい。熱く、ハートのある人たちと、それを支える清浄で高潔な場。


地元で熱い想いをもった10名以上の志士たちが集ってくださいました。東京からも4名参加。百年単位で続く事業を継承している人、新しい事業や活動にチャレンジしている人、行政に革命を起こそうとしている人。さまざまな角度からアプローチしているけれど、目指すものと価値観は同じ。


そして僕はいま、生きている。

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