ポスト三島の時代を生きているわたしは、過去から現在へのさまざまな情報に触れる機会をもつ稀有な時代を流れている。
東京という特異点のような場所を揺りかごとして世界各地の人々と触れ合う機会を得て育ったわたしが様々な現代文化と触れて思うのは、戦後と呼ばれる時代から戦後の終焉と呼ばれる時代を過去のものとし、経済成長と秩序が当たり前のように押し付けられる時代すら飛び越え、反発・議論などがすべて無力化された上で当然の如く起きた経済停滞と叫ばれている現状を人々がなぜネガティブな捉え方をするのか不思議であるということだ。この停滞の本質は経済ではない。経済は結果のあらわれのひとつでしかなく、本質は関係性である。わたしたちは文化の不継承や社会規範の概念の書き換えを根に起きた世論の変化を受け容れる以外の選択肢が与えられない時代に生まれ、ポスト三島の世界に育ち、独自の「抑揚の感覚」を持つ。わたしたちは人と人の相互理解や共感を阻む時代という大きな課題を先人たちから無責任に渡された。これは教育の問題でも文化継承の問題でもなく、もっと人として根源的でシンプルな問題を隠蔽しつづけて目をそむけてきた日本のツケである。わたしたちの世代は、経済停滞や右派・左派というものには正負の価値観をおいていない。停滞や進歩という捉え方こそがニヒリズムの温床であり、わたしたちから見ればくだらない限定された価値観である。
現代日本語は言語文化の燃え殻であり、それによって相互理解を期待することはない。言語は機能しておらず断絶を生んでいる。しかしだからこそ、言語に頼れない我々が言語の衰弱を憂いてもその先には虚無しかないのは当然であり、その当然を受け容れてこそ見える次の解決策が現れるのだ。現代をまだ「生きている」(生命をつないでいる)「旧い人々」には、言語や芸術や学問を超えた交流の術があることを理解できないようであるし、おそらく旧いままであれば死ぬまで理解できないのだろう。
わたしは今日ほど強く、1972年にこの日本に生まれたということの意味について感じ入ったことはなかった。しかしこの感覚にとらわれるつもりも毛頭なく、この執筆が終わればきっとわたしの頭の中からは感傷的なものはすべて消え去り、いまを生きていくのみだろう。ドグマに囚われて物事を無意味な逡巡のために費やすようなつまらないことにわたしは全く興味がない。目の前にはわたしに遣われた命によって成されることがあるし、わたしはすべての喜怒哀楽や辛苦や達成感や好奇心や感動とよばれる心の振動を、「楽しんでいる」と定義していまを過ごしている。
三島は水の存在しない豊穣の海を彼のニヒリズムの象徴として題した。彼や彼の世代には、豊穣の海に存在する水が見えなかったのだ。あの時代、水で満たされた豊饒の海が見えていた人間はひとりもいなかった。
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