ふと思ったこと

そういえば僕ってあんまり人に評価の言葉をいただいたり褒められたりしたことがない。いや、あるといえばあるんだけど、自分が評価されたいところがスルーされて、いやーちょっと、そこは違うんだよなあとか、あんまりそこ意識してなかったんですけどって部分を評価されることはよくある。

そもそも、評価されたいのは「それをやった自分」ではなくて「アイデアや成果そのもの」であって、それは僕じゃない誰かが作ったところで同じものを作り出したら、それ自体が評価されるべきだと思うんですけどね。評価を属人化させてしまう人が多いから、そういう人たちから見ると「評価されていない」って主張している僕の言葉から、僕が自己承認欲求をこじらせた人間だと思われることがあります。

目的とは違う部分を評価されても正直嬉しさは全くない。むしろ意図せずに生まれた副産物みたいなものを評価されても、意図してないから恥ずかしいというか気後れするというか、偶然できたものをそんなに絶賛されても別に、と思うし、それよりも僕自身が目指していたところがきちんと伝わっていなかったんだなぁという残念さもあるし、目指していたところはまだ成果が出ていないことについては「いやいや、それはいいんですよ」とか言われちゃうと、自分のポテンシャルを軽視されているように感じる。だって僕は自分を何ら特別な人間とは思ってないわけですよ。そんな普通の自分が無い頭を絞って「これならいける」という判断を下して、苦しみながらずっこけながらも、「これはいける」という感覚をどんどん強めてきていて、本来目指していたものがもう少しで手に入りそうなところ(ここが常にいちばん苦しいところ)で、その目指しているものが何なのか周囲に理解されていないばかりか、途中段階で評価されても全く嬉しくない。

だからこそ、いつか自分が目指しているものが形になって「ああ、こいつが言ってた目指してたものってこういうことだったのか」と目に見える形で納得させてみたいという気持ちはある。でもその目指しているものは、他人に成果を納得させることが目的ではないので、おそらくそれも副産物みたいなものになるのだろう。先程も書いたように、僕は「目指してたものを理解してもらうことで自分が評価されたい」のではなくて「目指してたものの素晴らしさを理解してもらうことでその素晴らしさを共感したい、そしてその価値を理解してもらえたらその実現を共にできるかもしれない」という思いです。

自分がいちばん頑張ってるところがいつも評価も理解もされないということが常になっていると、孤独であることは当然のものとして受け入れられるようになってくる。他人同士が理解し合うことは不可能な夢と思っておいたほうが、実際に理解者が現れたときに意外な喜びを得られるものだから、人生は孤独が基本であったほうが幸福を得られるのだ。

それにしてもまあ、心外なものについて評価されるときもまた、他人はその陰にある努力も苦しみも知らんもんだから、ある程度でも評価してくれるだけまだマシなのだ。僕が成果とすら思ってない途中段階を評価されると僕も人間だから嬉しい気持ちだって少しはある。でも多くの場合において評価されるどころか妬まれたり足を引っ張られたりすることが多いことも学んでる。裏で足を引っ張るようなことをされると、その妬んでいる人も含めて幸せになれる提案をしているのに、なぜそのような悪意のあることをするのか疑問をもつ。僕はそれを知ろうとする。よけいに傷つけられるけど、疑問のほうが大きいからやめない。それで相手は僕を避けたり攻撃したりする。ある程度知能のある人はかなり陰湿なかたちで僕を卑下することで己の満足感を得ようとする場合もある。僕はさらに傷つく。けれどもどうして相手がそういうことをするに至るのかについてより真剣に考えたりするようになってしまう。こうしてジレンマがある程度まで進行すると、その相手との関係性はだいたい2通りのいずれかになる。相手が心を開いて理解しあえる大切な関係性に進展するか、相手の拒絶あるいは僕の許容が限界にきて関係性が傷つくか。

袖振り合うも多生の縁という。僕はいちど繋がった縁は人が意図的に切ったり壊したりできるものではないと思う。けれども意図的に距離を置きたいと思うことだってあるし相手がそう思うことだってある。

まあそういうことは日常的にあることで、朝になれば日が昇るとか塩は塩の味がする、というくらいにどうでもいいこと。どうでもいいと書くと感情が籠もっていないように誤解されそうだけれど、とても日常的で自然なことだと思っているのです。僕は毎朝日が昇ることにも塩の味を感じ取れることとか、そういうことがとても大切だと思ってますのであしからずです。

人生にはもっともっとエキサイティングで好奇心をとめられないものがたくさんあって、そちらに情熱を傾けていることが楽しくて仕方がないのです。

もちろん、期待していない人との温かな縁を持てたときにも、幸せを感じます。

期待しないで、やりたいことをやることって、こういうことの繰り返しから見えてくると思うのです。