生ぬるいのは趣味じゃない

難波行きのバスの中で今これを書いている。

人の心というものは、頭で都合よく制御できないものだな、と思う。

心は感性を司る。心の反応には本来ポジティブもネガティヴもない。喜怒哀楽の喜と楽をポジティブとし、怒と哀をネガティヴとしているのは人間の社会性の結果でしかなくて、すべて目の前に起きたことに対する認識の結果、自然に生じる反応だ。

したがって、心地よいものだけを選択することは出来るようで、出来ない。

よくわかるケースを挙げると、人に嫌なことをされたら悲しみ、怒りの感情に誘導される形は自然だが、それを抑えるということがどういうことなのか。感じるものに対して鈍感であろうとするということだ。すると不思議なことに全ての感性が同様に鈍感になる。嬉しいことに対しても、楽しいことに対しても。

なぜこんな話をしているのかというと、僕にとって仕事とは何かについてまず説明する必要がある。

僕の身の回りの世の中では仕事と遊びが区別されていることが常識になっている人が多くて、なかなかこの感覚を理解してもらえないので最新の注意を持って書く。

僕は仕事とそれ以外の区別がないが、仕事が人生だ!というワーカホリックではない。

僕はやりたくないことを決して出来ない人間だ。どうしてもやりたくないことは、自分の中で納得する形になるまで落とし込む必要がある。いかにしてもそれが出来ない場合は、文字通り、死んでもやらない。

僕にとっておいしいものを食べるのも仕事をすることも友達と遊ぶのも全てそうだ。全力で愛を傾けられるものに対しては、僕は全力をかけることを厭わない。というか全力をかけている意識すらしない。思うんだけどこれってみんなそうだと思う。それが人間だ。猫だってそうだ。

情熱をかけるというのは、熱く煮えたぎって手当り次第にやることとはまた違う。情熱をかけているからこそ、そのエネルギーの配分まで考え抜くし、冷静さも武器だし、理論や知識もあればあるだけ武器になるし、経験や知恵もフル活用するし、大胆さや行動力も使いこなしていく。

僕が今年出会ったマレーシアの会社。ここで僕はいつものようにまた情熱をかけたのである。ただ、過去にいた会社と違う点がある。過去にいた会社では、初めから100%だった。そして100%を求めるような募集の仕方をしておきながら、約束通りのことがなされない。つまり100%をさせてもらえない。妬み、恨み、怠惰、変化への恐怖、個人の承認欲求の問題、出世欲や派閥の問題、会社への依存心など、様々な課題を抱えた人たちによって、僕が思う「大人の責任」や「正しさの定義」において許容できない事態になるのだ。

そんなことはもう何度も繰り返して学んだ。中小企業から多国籍企業まで様々な組織で実際に経験して、僕は本当に自分の情熱を100%かけるためには他人の作った組織では駄目で、自分が立ち上げなければならないと知った。さらに言えばその組織には腐敗の起こり得ない何かが必要だったし、僕が体験して学んで知った全ての課題を僕なりの研究で出した理論を元に編み出したスタイルで実践する土壌が必要だった。

そんな覚悟をしてみれば実際ほんとに楽なもので、何事もやってみなきゃわからないもんだと思った。僕は今やりたいことのために必要なものは過去の努力で得ていたのだ。

マレーシアの会社はただの出稼ぎで、情熱の対象ではあり得ないと思って入社するつもりだった。

ところが僕はなんともまあ馬鹿正直で、素直というか疑うことをしないというか、自分でも呆れるくらいなのです。

(嘘が見えてると嘘に騙されないというのは嘘。これについては別記事でも書いてる)

また僕は他人の会社の偉い人たちの夢語りに騙されたのです。

夢を語られて、おおそりゃいいじゃねえか本当にそれをやるならマジで力貸すぜと思ってマジでやってみたら、周りはそれほどマジじゃなかったどころか、上の連中はクズった事をほざき始めてがっかりしたというわけ。

そこで怒りが生じてしばらくして冷静になって思った。

ああ俺はバカだ、と。他人様が方針決める会社でまた色々口出してしまったよ。本音と建前がある世界。僕が今まで決して理解できなかった「ザ・オトナ」の世界。僕が大嫌いな、ハリボテの嘘に塗れたエゴの世界。マジでそんなところに踏み込んで勝手なことほざいてしまった僕が悪かったですね。郷に入れば郷に従えってやつですね。そこはすいません。

でもさ、「この程度のことは嘘ではない」とか思うなよ? 俺はほんとにがっかりしたんだ。

マジでやるつもりのない夢を語るな。それは夢じゃなくてホラ吹きのホラだ。チャレンジするとコミットしたならチャレンジしろよ。皆さんにとってコミットメントってそんなもんか。

頭にきた僕は、昔ならそのまま会社辞めてた。

でも今回は、辞めない。なぜなら他の会社に入った時とは就職した理由が違うからだ。この会社にはそもそも出稼ぎのために来させてもらってる。情熱を傾けるものは全くこの会社には無くなったけど、金を稼ぐという目的を果たすだけならまだこの会社にいる価値はある。

そういうわけで、明らかに線引きしてアルバイトみたいな気持ちになった。とはいえ、僕のアルバイト気分でやる仕事が会社にとっては欲しいものだったようで、評価されてきてるのが笑える。

僕は思うよ。あんたたちが欲しいものはわかってる。その程度でいいんだよね。めんどくさいチャレンジやリスク分析をしながらギリギリの可能性を見極めながら飛び込んで、時には失敗しながら最大限の成長をしていく、なんてことはハナから求めていなかったんだろ? そんなことないなんて言わせない。言うなら態度とのギャップを埋めろ。

いちど騙されただけに、がっかり感が強くなってしまっただけなんだよね。期待した僕がバカだった。そのおかげでまたこうしてキッチリと傷ついてるもんね。

やっぱり自分がコントロールできるものだけに情熱かけるしかないのかな。

もしそうだとするとさ、僕は共同経営のない一人の組織をもう一つ立ち上げる。だって足を引っ張られたくないもん。

生きてる時間の一瞬一瞬がどれだけ有難くて奇跡のようなことなのか、わかってない連中と同じように人生の時間を使って後悔したくないもん。

未来で帳尻つけようとする癖は悪癖。

イライラしたくないです。はい。だから、割り切って仕事することにするじゃん?

はい、伏線回収します。そういうことですよ。

こうして割り切ることが、僕の会社に対する情熱を無くしますよね。よく聞く言葉ありますよね「情熱は別のところでかけたらいい」とか。

人間そんな簡単に条件式のように便利に感性や情熱を出したり絞ったりできないんですよー。

だから僕がこの会社に対して割り切ってドライな仕事っぷりをしてしまうとですね、困ったことに他のことに対しても同じようになってしまうんです。これは摂理ですよ。

そこでこんなこと考えたりしちゃうんですよ。「これは僕がやりたかったことだから、会社とは別で、情熱をかけなければならない」とね。もう、こんがらがりすぎてアホレベルです。本来好きなことに対して、やりたいことに対して、情熱なんて勝手に出てくるわけで。もう何が何だかわかりませんね。

さて、僕がこのような状況を打破するためにはどうしたら良いか。

取れる道は2つしかない。

ひとつ。勤めてる会社で全力出す。全ての矛盾や悪習と徹底的に戦い、正義を貫き通す。それは、全員が納得してぐうの音も出せないほどの結果を出すか、あるいは疎まれてクビや自主退職に追い込まれるまで続く。

もうひとつ。今すぐ会社を辞める。

どっちでも間違いはないです。いちばん大事なのは、僕がやりたくないことをやらないこと。つまり、筋が通らないことを人生の中で妥協しないことです。

来年の1月末でちょうど入社1年が経ち、会社の年度も改まります。そこで何か見えてくるのではないかと思います。

僕は人を切るようなことはしないけど、やりたい夢の実現にかけては経営者としての判断にブレを起こしたくない。いやこれは経営者としてと言うより、己の思想を社会に適合する形でPoCすることだ。新しい人類の価値観の提案だ。多様性の強化だ。

全力か、捨てるか。常にこのギリギリの感覚は持ち続けていたい。