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昨日母と久しぶりに電話で話したら、また金の心配をされた。

僕がどれだけのことを考えて、それを実行して、どんな人間関係やビジネスに向き合っていて、どんな価値観をもって生きているのか、全く理解されていない。

全く理解されていないのに、心配だけしてる。話しても理解できないようだからもう理解してもらおうとするのはとっくに諦めているのだ。

母親は母親でいいではないか。産んで育ててくれたことには感謝してるが、申し訳ないがビジネスに関しては僕の方が経験の幅も広いし人間関係も妥協なく洗練させてきた。話のわかる人としかビジネスもプライベートも付き合わないし、それで十分なばかりか、全ての話をまともに受けていたらパンクするくらい困ってないのだ。

痩せ我慢してるとでも勘違いしてるようだ。そうではなくて、案件を選べる立場にあるから、面白いものしか受けないというのが実情なのだということを、そろそろわかってくれてもいいと思うのだが。

「お金に余裕が出てから好きな仕事を選ぼう」という順番は、ビジョンが立ってない。金が第一目的の人の思考であり、そのやり方では小金持ちにはなれるかもしれないが、常に金に支配された生き方しかできない。

「物事の価値」を見て信じてやれば、金の呪縛など跡形もなく消え去る。そして金には全く困らなくなる。これがわかってないのは母だけでなく、たくさんいる。

しかし多くの人の認識がそうであれ、僕の周りにたくさんいる「真の志を持った経営者」は、素晴らしい実績を持つ人も、これからそれを得ようとしている人も、間違いなく金を見ていない。金はただの道具だということを知っている。

金は生活に幸せをもたらしてくれる約束された神具ではない。

そもそも僕は2019年5月24日が命日だから、僕のことは死んだと思ってくれと伝えている。それは、仏教の諦念のことだ。

諦念あって初めて、得るものの価値に喜びを得ることができ、この世に生まれた奇跡に涙できるのだ。それ無くして述べられる「ありがたい」は、薄っぺらで中身のない、空を彷徨う幻にしか思えない。

死んだつもりの息子が生きてることに満足していただければ良いではないか?

私は生きてるだけで幸せなのだ。だからそれ以上を僕に期待するのはやめてほしい。ストレスだ。

「息子が安定した収入を得てほしい」という願いのような何かは、美しくもなんともない。それは、母本人が安心したいだけのエゴだ。自分の人生ではなく、僕という別の人格の人生で、僕が何も心配していないことを母がずっと心配し続けることがどれだけ滑稽に見えることか。

そろそろ本当に子離れしてほしい。これが友人だったら間違いなく連絡を断つ理由となる行為なのだ。

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