自分と向き合いうこと。他人に責任転嫁しないこと。

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人生がマラソンのようだとか、そうでないとか、そんな議論は無意味だ。

長い道のりを、己を鍛えつつ限界ギリギリで走り続けるならば、人生はマラソンのようであろう。

長い道のりを、ゆったりと歩くならば、散歩のようであろう。

長い道のりを、己の限界を超えた速度で走るのならば、ゴールする前に死ぬだろう。

長い道のりを歩まず、食べ物や寝る場所に困らないところに留まるのならば、人生は同じ景色であろう。

人生に正解はない。選んだ結果を受け取るのは自分だけであり、それで満足するのか後悔するのかも自分だけのものである。

自分で選んだ道に文句などない。不平不満があるのならば、それは「走りたいのに走れていない自分」や「休みたいのに走るのをやめられない自分」への不平不満なのだ。他人を責める前に己を振り返るべきなのだ。

他人が人生をどう受け止め、どう対処しているのかを見れば、その人の人生哲学が透けて見える。

チャレンジが怖くない人間などいない。
困難にぶち当たらない人間もいない。
理想的な環境だけで生きている人間もいない。
やれない理由は、全て自分の言い訳だ。

本来こういう事は年齢を問わず全て自己責任であり、結果を全て自分で受け止める必要がある。誰も指摘なんてしてくれない。相手が何か、深い理由があってチャレンジしているのかもしれないのだから、知らずに無責任な批判はできないからだ。

だから批判は、相手を深く知らなければできないし、深く知っていても勇気が要る。
批判してゴタゴタに巻き込まれるよりも、そのまま放っておく方が楽なのだ。所詮、他人の人生だし。

しかしそれが家族や親友となると話は別だ。
多くの人は、勇気を奮う。

言い訳なんて誰も聞きたくないのだ。
言い訳してるという事は、誰でもない、言い訳している本人自身が、自分のやりたいことから逃げているだけ。

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