神性

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最近楽しくて、何をやるにも頭もよく回るし、感情もフローしてるし、体もとても軽い。

キューブカフェでまた昨日、新たなクエストが生まれた。

ここ5年くらい、
info.caffeやとかいなか食堂の経験、
訪れた地域や、訪れた国々(台湾・タイ・カンボジア・オーストラリア)の食文化を観察してきた。
日本の田舎にもたくさん訪れた。
地域によって実にさまざまな食べ物があるけれど、本質はひとつに絞られる。

それは僕が5歳の時に、母に買ってもらったイチゴを台無しにしてしまったとても悲しい経験にルーツがある。
思い返せばあの時、僕は天を仰いで慟哭していた。
「こんなにやり場のない悲しみを持つ必要のない世界が欲しい」
心の中でそう叫んでいた。

神様は見てる。
神様はわたしたちの言葉を聞いている。
そしてわたしたちは、
自分自身に対して偽りが無いかどうかを
常に試されている。

ありとあらゆるところに神性は存在していて、
僕は近頃、いつもそれを感じながら生きている。

だから充実して、楽しいのだと思う。

自分が今この瞬間何をするべきなのか、迷うことがなくなって久しい。

願ったことは全て現実化する。

自分が願うその形で。

だから思考というものはとても大切で、
思考を理性と感性によって自在に制御できるようになるために、修行を要する。
辛いことや難しいことにチャレンジするのは、己を鍛え上げて、自分が生まれてきた本当の理由、それを遂行する能力を得るために必要な修行をしているだけのことだと思う。

何も難しいことはない。
自由になることは、その過程だから、自由になれば道は見えるし、何をやりたいのかも観えてくる。

失敗は存在しない。
過程の先に、想像を絶するような成果があるだけ。

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