金・名誉・名声・経歴・学歴。
これらは欲しがって手に入れるものじゃなくて、過程で勝手についてくるものだ。なんの過程かって? そりゃ好奇心のままに自由に生きることに決まってる。
僕が【金・名誉・名声・経歴・学歴】を毛嫌いしていると勘違いしている人がいるらしいが、ここでハッキリさせておく。そんなことはない。好きでも嫌いでもない。
たとえ話をしよう。
学校の期末テストだ。どんな教科でもいい。たとえば数学。
数学のテストで100点を取れたら、それは嬉しい。でも100点が好きか? と聞かれたら、点数に好きも嫌いもあるか、と答える。僕は生まれてこのかた、試験対策の勉強というものを一切やったことがない。その理由を説明させてくれ。勉強が嫌いだからではない。っていうか勉強って言葉は僕の辞書にはない。
僕の中に常にあるのは、好奇心だ。数学の世界の楽しさをいったん認識してしまうと、あとは自分でも学ぶことができる。なぜなら世の中には素晴らしい参考書があり、手練れの教師がいるからだ。
教えるのがうまい教師じゃないと成績が上がらないのだとしたら、それは好奇心不足だ。わからないことをわかるまで追求する手段を自分で持っていないと、誰かに頼るしかなくなる。図書館で参考書を読んでみたり、話題の参考書を読んでみたり、教えてくれそうな人に質問しに行ったりすればいい。現代じゃインターネットという便利なものがあるのだから、さらに多くの手段がある。日本語で洗練された情報が無いのならば英語で探せばいい。ほら、英語を学ぶ理由もできたじゃないか。
学問は自分のためにある。
自分がどこまで理解しているか確認するのがテストだ。試験対策の勉強をしてしまったら、本来の実力がわからなくなる。だから普段通りにテストを受けるのだ。そうすれば自分がまだ学んでいない範囲が明確になる。本来80点の学びしか得られていないのに、短期記憶を海馬に詰め込んで小手先で100点を取ったところで、それは己の本来の成績ではない。だから僕は試験勉強をしない。
最初に書いた【金・名誉・名声・経歴・学歴】は、テストの点数と同じ性質のものだ。
金は己が市場に与えた価値への対価として手に入る。もちろんマネタイズの戦略も己の能力のうちだ。マネタイズとは、価値を金として受け取る仕組みに過ぎない。しかしテストの例と同じように、本来価値がそこまでないものに高い金額をつけようとすることをマネタイズと呼ぶ阿呆どもは、金の本質を理解していない。
名誉や名声も、目指して手に入れるものではない。世の中に与えた価値に対して勝手についてくるものだ。
経歴・学歴も同じだ。何をしたくてその学校に入るのか。その目的が学校の卒業証書だっていう時点で、話にならない。その学校でしか手に入らないものがあるのなら行けばいい。そのやり方じゃないと実現できない何かがあるならやればいい。
結果を求めてしまうと、自分が本当にそれを必要としているかどうかが見えなくなる。
【金・名誉・名声・経歴・学歴】を重要視している人は信頼できない。必ずどこかで裏切られる。なぜなら今この瞬間目の前にいる人間よりも、これらを優先するような天秤を持っているからだ。
たとえば僕の親しい(親しかった)人に、とある面白い計画を持ちかけた。するとその人物は「金は関係ない。面白そうだからやる」と言った。その人物は確かに僕から金を受け取っていないが、好きでもない日常の仕事を優先して、なかなか計画の実行のための時間を確保できないのだ。どうして「好きでもない日常の仕事」を優先するかって? そりゃ金のためだ。目先の金に目が眩んで、僕が提示した、無限の可能性のあるアイデアの価値が見えていないのだ。先程も書いたように、金はこの世にもたらした価値への対価である。このアイデアが実現したら、実に多くの人たちの問題を解決する。だから当然金にもなるわけだが、金のために目を眩ませた人間に、金目的で一緒にやってほしくないから、金の話はしない。自分で考えろってことだ。
【金・名誉・名声・経歴・学歴】に少しでもブレている人間は、間違いなく差別主義者だ。その理由は自分で考えてみてくれ、で済ませたいけれど理解できない人が多いのは経験上わかってるから書いておく。ヒントは、【金・名誉・名声・経歴・学歴】を欲する「動機」だ。
多少はブレていてもある程度のものは得られるのかもしれないが、どこかのタイミングで挑戦が終わり、逃げになる。なぜなら【金・名誉・名声・経歴・学歴】が目的になれば、それが満足できるレベルになったとき、挑戦するものがなくなるからだ。
逃げになればもうあとは、後ろから追いかけてくる【恐怖】との戦いだ。人類史上これに勝った人間はまだいない。この【恐怖】に対する【向き合い】をできる人間ならば、そこからまた再スタートできる。しかし【逃げ】を選択した人間の人生は見ちゃいられないほど悲惨になる。さらに多くのストレスや盲点を自ら作り出すジレンマに陥るから、精神も病みやすいし、生きるパワーも不足気味になるし、免疫は落ちるし、いろんなものに縋ってなんとかしようとするから面倒なしがらみも増えるし、最終的に誰もが逃げられない【死】に対しても向き合えず、ただただ【恐怖】に支配されていくのだ。
これを簡単な言葉で言うと【悪魔との契約】になる。
真っ黒な羽と尖った尻尾と6本指を持った具体的な悪魔がこの世にいるはずがない。悪魔は人の心の中に発生する。その契約の代償は、【清浄な魂】だ。
中学時代の同級生が僕を馬鹿にしていることがわかった。馬鹿にするのは一向に構わないが、なぜ馬鹿にするのか、そこがまた悲しいストーリーだと思った。この同級生は、生きることを効率で捉えている。感性の必要なアート寄りの職業を選んでいるくせにだ。ところでこの同級生の作品は、技術だけで心がこもってない。そりゃそうだ。だから観衆の感動を呼べず、駄作しか生産できない。ただ技術があればそれでいいかというと、NOなのだ。こいつは僕のことを、ある点だけ几帳面すぎるくらい几帳面だと評した。そしてそれ以外は全然ダメだと。僕のことを何も知らんくせに。こいつにとっては無為であったのであろう中学時代からの何十年の間の変化も知らないし、本人が変化していないから、「人は変化しない」という結論に縋ってしまったのだろう。かわいそうな人だと思った。ちなみに中学生の頃からこいつは僕を見誤っていた。つまり僕のことを片鱗すら理解したことはないのだ。なぜか。この同級生は、人の意見を否定するのだ。僕は否定なんて真っ平御免なので、一度否定されて以来、本当の本音をこいつに話したことは一度もないのだ。そしてその性格はいまでも変わってないことがわかったから、縁が切れた。
結果を求めるってよく言うけど、意味がわかんないんだな。
何かをすれば、当然結果が出る。結果を求めるとか意味のわかんないこと言ってる人は、今更だが【原因と結果の法則】でも読んだらどうかな。知らんけど。
結果が【成功 or 失敗】の二極化しちゃってる人も意味がわかんない。【成果を出す】ためには、【ひとつひとつの挑戦・行動の結果】をまっすぐそのまま受け止める以外にない。その結果で満足したのであればそれは【成果が出た】と言えるし、不満なところが残ったのであれば、いいタイミングでまた【再挑戦】すればいい。何度挑戦しても同じ結果が出るなら、自分自身のアホさを反省したほうがいい。同じやり方を繰り返したって同じ結果しか出ない。何が原因なのか【分析】するためには多角的な視野が必要だ。それこそ、こういったことに【人の手を借りる】って思わないのだろうか。借りたものは別の形で返せばいいのに、そういうものを借りることができない人ほど、とんでもないところで他人に依存して迷惑かけて、その自覚もない。
つまりさ、その都度チャレンジに失敗という【一時的な結果】はあるけれど、究極的に【失敗】は無い。スラムダンクの安西先生も「諦めたらその瞬間が失敗ですよ」って言ってる。
ここまで読んでまだ、【金・名誉・名声・経歴・学歴】にこだわることの無意味さに納得できない?
数学のテストで結果を求めたらおかしなことになるって書いた。じゃあこれが、新しい医薬品のテストだったら、もっとわかりやすい? 医薬品がテスト合格を目指したら、危険すぎやしない? 発見と発明のプロセスをよーく想像してみよう。何かを見つける→応用を思いつく→実際やってみる→思いついた通りの成果があるのかテストする。
その新しい医薬品が人の役に立つかどうかは、神のみぞ知る。それを人が「役に立ってもらわないと困る」っていう思想で動いてしまうと、おかしなことになるよね。
え? 会社では結果を求められるって? うん知ってる。だから会社には寿命があるんだ。しかも最近ではそれがどんどん短くなる傾向にある。長続きしている会社を研究してみたことはあるか?
長続きしている会社は【金・名誉・名声・経歴・学歴】を重要視していない。もっと尊いものを重要視している。日本には歴史の長い会社がたくさんあるから、この観点で調べてみたらいい。
会社のスローガンとかミッションとか、美しいことを標榜するけど、それが建前なのか本音なのか。「本音でそんなこと言ってる奴いるはずがない」って思ったあなた、相当やられてるよ、悪魔に。
今日のところはこれくらいにしておく。
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