ちょっと前に風邪をひいたんだけど、もう面倒くさいったらありゃしない。何が面倒かって、風邪ひいたって言うと9割方から「コロナ」って言葉が出てくる。風邪の定義:
かぜ症状群の原因微生物は、80~90%がウイルスといわれています。主な原因ウイルスとしては、ライノウイルス、コロナウイルスが多く、RSウイルス、パラインフルエンザウイルス、アデノウイルスなどが続きます。ウイルス以外では、一般細菌、肺炎マイコプラズマ、肺炎クラミドフィラなど特殊な細菌も原因となります。
A-01 かぜ症候群 - A. 感染性呼吸器疾患|一般社団法人日本呼吸器学会
COVID-19が世に認知される遥か前から、僕たちは何度も風邪ひいてきてる。コロナウイルスにもインフルエンザウイルスにも感染してきてる。全部、風邪なんだよ。
昔から「たかが風邪だって馬鹿にしちゃいけない」って言われているように、風邪で毎年人は死んでる。味覚がなくなるのだって新型コロナウイルスだけの症状じゃない。それが皆、馬鹿の一つ覚えみたいにコロナ、コロナって今更恐れているわけだ。言葉悪いけど、正直アホらしい。
「COVID-19は今までの風邪ウイルスとは違うんですよ、人が何パーセントの確率で死んでます」って。統計情報の読み方もわからない連中が大騒ぎしてさ。ワクチンのリスクは過小評価してる人ばかりで。何を信じようが個人の自由だけどさ、その意味不明な信条を押し付けられるのだけは勘弁してほしい。どうせこっちの説明なんて最後まで聞かないし、権威がある情報しか信じない人に説明するつもりもないけどね。
僕は情報技術(Information Technology, つまりIT)に身を捧ぐ者のひとりとして、情報の扱い方を世の中に伝えていく責任があると自覚している。
客観的に情報を処理して、主観的に「意思」で決定をするまでの細やかなプロセス。これができていないと、人は情報に踊らされる。情報弱者っていうのは手に入れる情報量や手段が少ない人のことではない。手に入れる情報から正しい認識を導き出すことができない人のことだ。
いまやCOVID-19に関してはテレビ・新聞・ネット・書籍・チラシ・他、あらゆるメディアで嵐のように情報が溢れかえっている。情報のパンデミックだ。
情報に踊らされないために必要なものは知識や情報ではない。情報をフィルターするための手法であり、真実を見抜くために情報と情報を突き合わせたり、いかにも真実らしく見える情報から矛盾を暴き出す手段であり、さらにはその矛盾がなぜ起きるのか、情報の出どころにはどんな意図があるのか、何を得するのか、などの深堀りをして自分なりの答えを導き出すことだ。
他人の決定に盲目的に従っているようでは、情報弱者を抜け出すことはできない。
キューブカフェは「スマホやPCのことを何でも聞ける」というキャッチフレーズで運営している。その理由は、万人にとってわかりやすいからだ。「情報技術をイロハから学べる」なんて標榜したら、「なんか難しそう」「めんどくさそう」って敬遠されてしまう。
あくまで間口は広く、そして奥行きは果てしなく続く、そんなサロンがキューブカフェだ。キューブカフェがどんなところなのか、創設者の僕ですら一言で説明できない上にパンフレットを作るのにもイメージがまとまらなくて手についていないのに、もし一言で説明する人がいたら、その人はキューブカフェのことをまるで理解していないってことだ。
以前からあって、排除してきて、また最近のキューブカフェにおいて現れつつある、歓迎できないことがある。それは「馴れ合い」です。
キューブカフェは、キューブカフェの活動そのものを直接的な営利目的でやっていない。だからこそ自由にやらせていただいている。こちらの教えたいことに文句があるなら帰っていただいて結構だし、不満があってどこかに誹謗中傷を書きたいならそれもご勝手にどうぞって思ってる。そもそもキューブカフェは「僕の週末の遊びのつもりでやる」って決めて始めた場所だし、「ちょっとでも無理を感じたらやめよう」とも決めているから、継続や発展をしてくれたらそりゃ楽しいだろうなとは思うけど、なんにも期待していない。期待したら負けだと思ってる。
そうしてやってきたからこそ、本当に世の中に需要がなければ続かないようになってる。意味がないことを続けるほど暇じゃないんです。他にもやってること・やりたいこと、いっぱいあるし。
それでも荒川の「土と緑」で「キューブカフェ荒川」が続いてきたのはなぜか。
ダイレクトな答えはひとつ。需要があるから。これに尽きる。
その需要は開設当初の需要を遥かに超えてきている。いまやパソコンやスマホのわからないことを教わるだけの場所ではなくなっている。そうなるだろうなという予測はあったけど、そういうふうにしていこうなんてバイアスは一切かけてない。好きなようにやってたら、今の形になっただけ。
週に一度、キューブカフェの人たちに会うのが楽しみで仕方がないという人がいる。誰にも言えなかった相談を安心してできるという人がいる。第2の人生でやりたいことが見つかって充実しているという人がいる。人間関係が冷え切った現代社会で、オアシスを見つけたという人がいる。情報技術者としてプロを目指す決意をした人がいる。新しい世界に飛び込む勇気を得たという人がいる。
こうした価値がどんどん増えていってもなお、キューブカフェは「無理を感じたらやめる」。
決して無理はしない。
売上目標があるわけでもないし、認知を上げて成功体験の甘い汁に酔いたいなんて希望もない。ではなぜキューブカフェをやるのか? この問いについて、キューブカフェに通ってる人の半分の方はもう理解してくれているようだ。
大愚和尚から、キューブカフェをなぜやるのか? の答えにぴったりな仏教の法を教わった。
道元禅師の著された正法眼蔵の中に「菩提薩四摂法(ぼだいさったししょうぼう)」というものがあります。
正法眼蔵の内容は、そのほとんどが修行僧に向けられたものですが、この「菩提薩四摂法(ぼだいさったししょうぼう)」は一般の信者さんのために書かれているものだと考えられております。
「菩提薩四摂法(ぼだいさったししょうぼう)」には観 世 音菩薩や地蔵菩薩などが、人々を様々な苦しみから救済するための行いである「布施・愛語・利行・同事」の四つが記されておりまして、私たち仏教徒が日常で行う修行であり、生き方でもあります。
その第一に記されている布施とは、幸せを一人占めせず、精神的にも物質的にも広くすべてに施しを与え、そして与えられていることを感謝して生きることです。
第二の愛語は、慈悲・慈愛の心をもって、愛情豊かで親切な言葉を語りかけることです。
そうした優しく思いやりのある言葉の一言一言すべてが人々の心を和ませます。
愛語は社会を正しい方向へ動かす大きな力となります。
第三の利行というものは見返りをもとめない行いであります。
自分がいい思いをする事ばかりを考えず、他の幸福のためにも良い行いをすることです。
第四の同事というのは、自分を抑え、相手と同じ心・境遇を自分自身に写して、相手と接することです。
もし、あなた自身に精神的に、物質的に余裕がある時に、苦しんでいる人と出会ったなら、この「四摂法」の布施、愛語、利行、同時を思い出して、少しだけでも実践してみましょう。
相手がそれで少しでも幸せに向かえたなら、あなた自身もまた、幸せに喜ぶ相手を見て幸せに思うことでしょう。
そうして相手がいつか余裕のある人間となったなら、あなたの行いを思い出して、他の人にも実践していくかもしれません。
あなたの小さな始まりが多くの人の幸せにつながるのかもしれません。
四摂法 | 曹洞宗岐阜県宗務所
まとめると、四摂法とは、
- 布施・・・物資や金銭、食べ物などを施す。法を説いて、安心や喜びを施す。
- 愛語・・・愛情のこもった優しい言葉をかける。
- 利行・・・体、言葉、心を用いて、相手の利益になるような善行をする。
- 同事・・・相手の悩み、感情、心を理解し、自分のこととして対応する。
キューブカフェは、四摂法のような行為こそが自分も相手も幸せにする源泉であることを識り、それを実践し、実際にそれを人生や経営に活かし、自由(自分を由とする)を得たり与えたりする、そのプロセス(道)をマスターするための道場としての役割があるということを、常連の方はわかっていらっしゃると思います。
キューブカフェは宗教団体でもなければコーチング組織でもない。何も押し付けないし、来るものは拒まず、去る者は追わず。現代社会の学び舎であり、駆け込み寺であり、オアシスであり、自立を獲得・再獲得するための踏み台でもある。
自立とはなにか。この答えは言葉で説明できるものではありません。まさに生きる体験を通じて、会得していくものです。ITはそのきっかけにしか過ぎません。
僕の住む品川区でも、キューブカフェのある荒川区でも、ほか僕が活動している国内外の複数の地域においても例外なく共通性のあることがたくさんある。
僕にとってキューブカフェを続けるということは、そこにしかない価値を維持するということ。他にもある価値だったら、他でやっているのだから、わざわざやる意味がない。
これは僕にしか作れないものだと知っているから、始めた。それだけのことだ。
そして僕が最初に作り、現実的にそれが可能であり、機能するということを実際にやって証明して見せれば、そこからやり方やコンセプトを学び、横に広げてくれる人は必ず現れると信じている。そうなったら、僕のキューブカフェにおける今の役割は終わり、次のステップに進むことができる。
キューブカフェに、甘えた関係性や馴れ合いなんて、必要ない。
僕にとってキューブカフェは、僕が自由に生きているからこそ、身の引き締まる場所にしていたい。甘えを許さない空手道場のような場所にしていたい。少しでも甘えがあったら、厳しい鉄拳が飛んでくるような、甘えのない慈愛に溢れた場所にしていたい。
それは寺で座禅を組むようなものだ。
実際に世の中で様々な方面の「プロ」として自覚を持って生きている人たちが初心に帰り、いままでの経験からくる奢りに向き合い、ハッとして、反省して、他人様のアドバイスを素直に聞けるようになる、そんな場所であり続けたい。
世の中には、矛盾がたくさんある。
プロはプロであるが故に、素人の言葉を舐めてかかる人が多い。僕も人間だからそういうことがあるかもしれない。そうしたときに、きっちりと人様の言葉を受け止めて、反省できる自分でいたい。それを一人で実践するのはとてもきついけれど、道場はそれをやりやすくしてくれる。
自分が天狗になっていると気付いたら、そのときは潔く身を引くときだ。
それがキューブカフェを閉じることなのか、それとも別の誰かにバトンタッチすることなのかは、わからない。
世界のHONDAを創業した本田宗一郎の引退のエピソードは、「本田宗一郎 引退」などのキーワードで検索をすればたくさん出てくる。僕はそのエピソードが好きだ。そして本田宗一郎の潔さに感銘を受けると同時に、自らの切っ先が鈍ってしまうことの恐ろしさも感じ取った。
キューブカフェだけではない。僕がいま携わっている事業・経営のすべては、僕の心が鈍ったら終わる。そのときは自分で割腹するような心持ちで、自分で終わりにするのが本望なのだ。
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