Eternity

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僕は恋心というものが、よくわからない。そう思って過去を振り返ってみると、曖昧ながらひとつだけ恋心を抱いたことがあったように思えるエピソードがあった。それは自分が何歳だったのかよく覚えていないほど昔のことで、両親の大学時代の友人、アベさんのお宅を訪れたとき、その娘さん2人に遊んでもらったときに、その娘さんのどちらに対してだったかは忘れたが、憧れのようなドキドキするような不思議な感覚になったことがある。あれが恋というものなのだとしたら、僕は「恋は幻覚だ」と断言せざるを得ない。だってあのとき僕はおそらくあの2人とは初対面かそれに近かったし、相手のことなんて何も知らなかったのだ。

そのエピソードにおける「好意」にはちょっとした特別感があったかもしれない。でもそれは人に打ち明けるにはあまりにも恥ずかしいことだったし、はしたないことのように感じた。僕は自分の中でなんとか折り合いをつけたのだ。

僕はそんな感覚よりも、もっとしっかりとした「愛情」のほうが好きだったし、今でもそうだ。

繊細で敏感だった僕は、相手の感情を読み取ることが得意だった。それは決してよいことばかりではなく、むしろ茨のようなものだ。

相手が不満を抱えている、すっきりしていない、相手に嫌われている、好かれている。こうした感覚が間違っていたことなんて一度もなかった。しかし僕はそれを活用できていなかった。なぜならそうした感覚は、相手の感覚を自分の感覚のようにリアルに感じ取ることで得ていたので、相手の感情と自分の感情の見分けがつかなかったからだ。

やがて「感情」というものは、自分が持つばかりではないことに思い至る。さらに時を経て、「感情」というものはどちらかが所有しているのではなく、人と人、生命と生命の間に存在する「関係性」に存在する、作用と副作用の塊であるということに思い至ったのだ。つまり感情というものは個人の所有するものではなく、相手との関係性から自然発生的に生まれ、その生まれた何かを自分も相手もそれぞれ独自に「受け止める」だけのことで、その受け止め方に共通性があればそれは「共感」として、同じ感覚を持つ喜びとなるし、共通性がないところは「なぜ共通にならないのか?」という疑問が「相手に対する好奇心」となり、関係性を深めたい欲求の源泉になる。この流れをもし愛とか愛情と呼ぶのであれば、そうなのかもしれない。僕には名前をつける自信はない。愛とか愛情というものの定義は、人によって多様だから、自分の中で感じているこのあたたかいものに対して、無闇に名前をつけることで「決まった枠」を与えたいとは思えない。

ともあれ、上記に示したような理解の積み重ねの末、僕は僕が他人に対して感じている感情そのものが、相手の僕に対する感情の鏡合わせだということをしっかり認識して、それが実際にそうであると納得するまで自分と自分のもつ関係性を実験台のように観察して、確信に至ったという過去がある。

僕以外のことは当然知らないので僕だけが持っている感覚なのか、それとも人類共通なのかを断言することは難しいが、純粋な話をすれば自分が誰かに対して好意を感じたとき、その好意は相手も感じているということだ。その好意が「自分のもの」なのか「相手のもの」なのか悩む必要はなく、それは相手と自分の間に存在する。自分がその好意を意識できていないときは、相手との関係性から感じ取る好意を、相手から発せられるものだと勘違いしてしまうことが多いだろう。僕がそこで特殊なのは、僕が恋心を抱かないから、自分のなかで受け止める好意と相手が受け止める好意の差を感じ取ってしまうところにある。

つまり感情というものは、相手と自分を恒星に例えるならば、その間にある重力と遠心力のバランスでしかなく、その影響力はすべて宇宙の法則にしたがっており、ちっぽけな意識のエゴで解決できる問題ではないのだ。

引きつけ合う重力のような力に、愚かなわたしたち人間は、エゴをもってそれを誇大したり、否定したりしようとする。ただそれだけのことだ。

ご縁というものは、確かにあるように思える。

自分と相手。感情はそこにはなく、関係性にあるとしたら、僕が好きな「モノ」との間にも成立するはずだ。僕は小学生の頃に出会った「パソコン」に対して恋心を抱いたとも言える。

  • さだまさし「もうひとつの恋愛症候群」より:
    『相手に求め続けてゆくものが恋 奪うのが恋
     与え続けてゆくものが愛 変わらぬ愛』
  • 恋はいつか壊れる。愛は壊れず、死してもなお永遠に続く。
  • 恋がきっかけで愛になることはあるようだけど、愛が恋に変化することはない。
  • つまり愛と恋は比較するものではなく、愛のもとに小さな恋というドラマが添えられているだけ。
  • 世の中にはさまざまな常識やタブーがあって、純粋な愛情をストレートに表現し合うことが困難だと思い込んでいる人がたくさんいるようだ。
  • 恋には報酬や条件が必要で、愛は無償。これは、さだまさしの歌詞と同じことか。

とりあえず今日は、ここまで。

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