自分で体験して一時的なものでも答えを出しているのは自分の意見と言えよう。
他人の語ったことは単なる知識でしかない。
この観点からすると、座学で学んだことに意味などない。それは一つの仮説としてヒントにはなるけれど答えではない。
学校で学ぶことのほとんどがそれだ。
自ら証明することなく無闇にその知識を受容するということは、仮説の証明をせずに盲信している状態だ。つまり何か行き詰まった時にどこに論理破綻があるのか把握することが困難になる。思い込みの入る余地を増やす。
だから思考においては、証明の確度評価という視点が欠かせない。
たとえ経験したものでも100%はありえない。なのでどんな論理考証においても直観は欠かせない。
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